日本犬の眼

出典  「日本の犬と狼」 斎藤弘吉 著
     昭和三十九年八月一日 雪華社 刊



【 日本犬の眼 】


 我が国古来よりの犬の眼の説を申し上げますと、今より約四百三十年ばかりの前にあたる永正三年三月吉日の奥書ある、『斎藤朝倉両家鷹書』という秘伝の犬の相好の事の部に「かくの如くなる犬よし、いろいろ口伝ある也。いぬいかにも目のまえをれて」云々とあります。この目のまえをれてとは、素直というような意味合いではないかと存じます。
 小橋治郎右衛門『犬の書』、これは慶長二十一年八月十三日の奥書のある、すなわち今を去る約三百二十年ばかり前の書でありますが、この書の乾の巻、犬見様の事の部に「目ははし前斗りまもり、まぶち高く、目色はしゅたんにあぶらをおとしたるがごとし」云々、また「犬めきき(中略)見様口伝なり、まなこのつき様いろいろふく中までも見る也」とあります。目ははし前すなわち喙ばかり守り見るということは、いたずらにきょろきょろせぬ、落ち着いた、胆力のある、しかも鋭敏な精神を表わす眼の表情を巧みな言葉でいったものであります。まぶち高くということはむしろ眼球の張り出ぬ、奥まった眼という意味と解釈したらよろしかろうと存じます。目色はしゅたんに油をおとしたるがごとしのしゅたんはなにをいったものでありましょうか、朱丹の意味かとも考えられ、あるいは紫檀の意味かとも考えられます。油を落としたるが如しの一句で大体の虹彩の感じを表したものと思います。また犬目利の部まなこのつき様いろいろとありますが口伝となっていて残念ながら判明致しません。
 『唐流鷹深秘訣抄』の犬吉相の事の部には「眼は一つ」として「いかにも目あひ近きを良とす」とあります。この書の犬吉相の書き振りはいかにも変わったものでありまして、耳の説でも申し上げましたように、「疣か耳か」として「いかにも耳ちひさきをよしとす」といい、やや極端に説いております。この目あいもあまり離れたのは、いかにも愚鈍な相でありまして、御犬名所図やその名所の説明を書いた『御犬書』を見ますと、この目あいの延びている犬を河伯子犬と称し、定家卿鷹三百首中の和歌「谷川の流るる上を風かけて、鳥をたつるやおその子の犬」を引いて、「谷川などにてかくるをば、谷渡りともいへど、かけこすとも云がよきなり、おその子の犬とは鳥をば立れとも犬やりの遅きをぞなり、此の目あひの延びたる犬は下かんなるもの也、それをおその子の犬と云ふ」と説明しています。
 犬やりとは、ここでは犬の突込みのことを意味し、下かんは勘の悪いという意味であります。しかしこの目あひ近きを良しとするも、離れ過ぎぬようの注意と解釈したらよいと存じます。その他『鴨寄犬引伝書』の鴨寄犬の相形の部には簡単に「目は茶色」といっているだけであります。
 我が国の最も権威のある秘伝書の『蒼黄集』『蒼黄秘抄』は眼についてどのように伝えているかと申しますと、いずれも犬を相する上において、最も重大に慎重に取り扱っております。『蒼黄集』『蒼黄抄』は、この眼のところは同文であって、「犬形之事」の部に次の如くにのせてあります。
 「(前略)眼至って見所あり、考る所此の一眼に限れり。口伝あり習を得て明むべし。有増をしるす。白犬に黒眼あり、黄犬にかし目と云て鷹の眼の如く玉のまはりに大なる輪あり、人目より惣眼とも赤し、黄犬に限らず他の毛色にも眼替あり、多く気性強しと云へり。さかしきあり、にぶきあり、せはせはしきあり、静かなるあり、気短あり、温和なるあり、強気あり、至て愚なるあり、是皆いぬを繫ぐ時目を持って考ふ。見立てる時に犬を好くと見損あり。巧をと得見立べし」
 まず、犬を相することのうちで眼は最も肝要である。考究するところはこの1ヵ所であると、その重大に扱うべきことをいっています。次に口伝あり習を得て明むべし、すなわちその微妙なところは書いて伝うべくもないので口授を受け、かつ実際に経験を積んで会得せよ、しかしながらその大略を記すと断って、変り目のことすなわち尋常の目色でない眼について、また眼によって判断する犬の性質、賢、愚、利、鈍、強、弱、静、懆、をいろいろ述べております。最後に是皆いぬを繫ぐ時、眼を以て考ふ。すなわち犬を選択する時は眼の表わす犬の性質を考えて決定するのである。といっております。繫ぐといいますのは、当時公儀御犬牽が、町や村々に放し飼いされている多くの仔犬中から、自分の仕込まんとする犬を一頭選択して、まず馴れさすために自分のところに繫ぎます。それで選ぶことを繫ぐと申したのであります。当時公儀犬牽は、一人に付いて一頭乃至二頭の犬を受け持って専心調教したものであって、この一頭乃至二頭のために代々扶持を頂き、その犬の調教のできばえ、将軍家御前での犬の働きばえによって、一身一家の浮沈に関係するものでありますから、その仔犬の選択も苦心をしたもので、名犬となるべき素質を持っている犬を、探すにずいぶん苦労したものと推測されます。繫ぐ時眼を以て考ふ。眼をもって犬の性質を判断するに精力を傾倒したものと思います。なお最後に、見立る時好くと見損あり、巧を得見立べしと注意がしてあります。最初に見たときに毛色や、形等によって、好きな犬だと思って見る時はその犬の性質の欠陥が判らず見損うことがあるものである。単に観賞のための犬ではなく、調教使役せんとする犬を選ぶときは、好き嫌いに煩わされずにその犬の本質を見抜かなくてはならぬ、それには巧を得、すなわち、不断の研究と多くの経験を経て選択せねばならぬと結んでおります。
 蒼黄秘抄には次の如くに書いてあります。
 「(前略)此の形を考見て何もよき様にみえ候はゞ、眼中を得と見るべし。人に愛されてそだち、食餌にも乏しからず成長したる犬は、眼中すなほに見え、恐けも少く、自然と性のよき所見ゆるものなり、か様の犬を好て用べし。相形は能く見え候ても、常に人に追はれ呵られ、食にも乏しくして成長したる犬は、自然と眼中にこりありて、人を恐れ形気悪し、か様なるは馴けもむづかしく、取り扱ひむづかしきこと多し(下略)」
 「(前略)眼中はたいゆうなる所を好む。(中略)眼中黒目がちにしてぎろぎろしたるは、得てさわがしくしてよろしからず。鳥当りにもさわがしく、年老ても直りがたく、少の事にも恐れて鳥をけ逵ること多し」
 前文のこの形を考え見てというのは、犬体各部の体型毛色その他すべてを考究してみて、良しと考えたなら最後に眼をとくと見られよ。生い立ちの良いものは性質素直であって、仕込みも容易であるが、形は良くても生い立ちの悪いものは性質が素直でなく、仕込みがむずかしい。このような犬は、眼中に自然と凝りがあって、すなわちなんとなく不純なところがあって判るものであるといっております。後文には眼中大勇なる所を好むと書いてあります。大勇なる性を表わす眼、すなわち眼の形、色、動き、表情が悍威、大胆、細心、賢知、順良、落ちつき等を表わす所のものは、最もよしとしております。これは猟仕込みのことのみならず、あらゆることに使役するに理想とすべき眼でありましょう。眼中黒目がちであって、ぎろぎろとしたのは得て騒がしくてよろしくない。鳥の嗅にをつける時でも騒ぎまわり、いささかのことにもびっくりして、鳥の嗅いをかぎちがえること多く、この性質は年老いても直らないものであるといってます。この黒目がちでぎろぎろした犬というのは眼の大きい、張り出たものによくあり、ちょっと強そうに感じるものでありますので、特に注意したものと思われます。
 以上は我が国古来の眼についての説でありますが、動物学の世界を見ますと、故渡瀬博士が「眼は茶色で、ある角度をなして上に向ひ」と講演したと『理学界』にでており、『動物辞典』には「眼は稍斜にして勇猛の相あり」としるされて、いずれも外眥の上がることを申しております。変わり目については『両羽博物図譜』が「眼の白青変駮馬の如きを見ること一にして足らざるなり」と述べております。しかしこれは明治三十年代の洋犬のだいぶ入り混じった時代の見聞記でありますので、我が国古来の犬にかのごとき変り目ありや否やは、今後の研究に属することと存じますが、鹿児島地方においても明治初期に金目、銀目、の説があった由を聞きます。しかし同地方は最も早く外国のものの輸入された土地で、洋犬の入ったのも全国中最も早い部に属する地方ではないかと考えられます。
 本会規定の日本犬標準の眼の部を見ますと、「稍三角形にして、外眥上り、虹彩濃茶褐色を呈す」とあります。これに私自身の考え、解釈の仕方をそえて申しあげますと、まず第一に眼が適当の位置にあって、両眼のあまり離れ過ぎぬこと。もちろんあまりに近接し過ぎましたものは嶮しい、陰険な感じが致しましょうが、近接過ぎると思われる眼は少なく、離れ過ぎると思われる眼は多少見受けられます。それで昔から、目あいの延び過ぎぬことを注意致したものと思われます。第二に眼の形のやや三角形で少々外眥上がることであります。眼の形は犬のその時々の精神によって変化あるものでありますが、その平静な時の眼の本来の形が、下目縁線がやや一直線をなし、少々斜めに上り上眼縁線は内眥すなわち目頭をなす方の線より外眥すなわち眼尻をなす方の線がやや長く、三縁線のなす眼の形は、やや三角形に近いように思われます。眼が丸くて目尻の下ったものは日本犬にはないように存じます。第三に眼の大きさでありますが、特に大きな眼は自然出張り出た、俗にいう出眼に多く、いわゆるぎらぎらとした眼で、臆病、少しのことにも騒しい犬に多くあります。特に小なるものは、多く眼の深まった位置にあります。このような眼つきのものは、勇敢であるとともに強情な性質も多いように存じます。やはり家庭犬としての日本犬は大ならず、また、極端に小ならず、中庸を得た程度の眼が望ましいかと存じます。第四に眼の深浅であります。もちろん張り出た俗にいう出眼は悪しく、やや奥まった位置でなければならぬと存じます。ただここに御注意申し上げますのは、同じ程度の奥まった眼でも、眼の大きさの小さなものは実際以上に奥まった感じが致し、同じ深さでも眼の形中程度のものは目立つほど深く感じないものであります。第五に虹彩の色であります。しかし日本犬そのものの目玉の色は濃茶褐色が基でありましょう。これより深い色をしているものに、やや青みがかった、深海の色とでも申すような眼があります落ちついた大胆な性質のものに多いように存じます。ここに御注意申し上げたいのは、左右の虹彩の色の多少ちがうものがありますことで、私のかつて飼育しておりましたあ、小型の牡は、左眼が濃茶褐色で右眼が今申し上げました深い青ずんだ眼を致しておりましたが、気性はなかなかよい犬でありました。目玉の外輪にやや色の浅い輪の入ったものがありますが、日本犬としては体型のやや感心せぬ犬に多く、かつ気性も、鼻っぱしは強くともどうも最後の落ち着きがない犬に多いように考えられます。第六に眼の動きであります。さきほど申し上げましたように、昔の秘伝書には「はしさきばかり守り見」とありますが、要は、ぎろぎろ、きょろきょろせぬ目使いが大切かと存じます第七が以上を総合しまして眼の表情、その犬の心を表現する眼の表現であります。眼のかがやき、眼の動き、眼のすべてが日本犬の本質である悍威、大胆、素朴、落ち着き、忠順、素直、彗智、鋭敏を表わすものでなくてはならないと存じます。
 なお眼の外傷その他は多少注意すれば判明致しますが、普通と変わりないように見えて、視力のたいへん弱い、俗にいう鳥眼と称されるものが犬にもあります。これはよほどご注意なさらぬと判明せぬことが多いように存じます結局眼によって犬を相するということは、その人その人の深い体験によって会得すべきことで、古人のいったように、巧を得て明むべしの一語に尽きるかと存じます。(昭和九年十一月)

怖かった

鑑賞会で観た横山さんとこの四国犬。

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怖かった。
なんで怖かったのか、この2日間考えてた。

『人間には絶対大丈夫だよ』と横山さんは言うけれど、触らせて貰った時も、前足を僕の細モモに乗せて来た時も、顔に顔を近付けて来た時も、掌を嗅がれて確認された時も、怖かった。『やっぱ大きいから怖いや』って横山さんに言ったけれど、大きいからだけじゃあなかった。

なんで怖かったのか、判った。この写真を観てて思い出した。

触らせて貰った時も、前足を僕の細モモに乗せて来た時も、顔に顔を近付けて来た時も、掌を嗅がれて確認された時も、彼らは

『絶対に眼を逸らさない』。

決して歯を剥き出してる訳でも無く、暴れて襲いかかって来る気配が有る訳でも無く、眼が吊り上ったりしてる訳でも無く、ただ、眼を逸らさなかっただけ。それだけで凄く怖かった。
こんな凄い犬達と一緒に暮らし、猟に出掛けたりする横山さんが羨ましい。

『桃太郎も鑑賞会に連れてくれば良かったな』と金指光春先生。本当は連れて行きたかったけれど、皆様に観て貰うにはもう少しだけ時間が欲しい。でも連れてって猟能を確認してみたかったな。



今日も桃太郎たちはいつもと変わらない日常。
少しだけ様子が違って来てるのはこのお坊ちゃん。

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桃太郎の息子・天狗。

運動に連れて歩くととにかくガラが悪い。
足にマウントするし体当たりするし妙にニオイを嗅ぎ回るし。それとオシッコの時に足を上げる回数が増えたのと、オシッコが出てないのに足を上げる回数まで増え始めた。おしゃべりは大分上手になったけど。

ぼくたちおとこのこ


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写真は昨日逗子市にて開催された会員有志による鑑賞会の様子。
他にも写真を沢山撮影したけどここでは紹介しきれないのでFacebookにアップロードしたものをご覧下さい。下記URLをコピー&ペーストしてご覧下さい。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.480449645343420.110839.100001351673713&type=1&l=118cf94981



昨日は天狗を鑑賞会に連れて行った。
生後2ヶ月時に展覧会出陳した以来の沢山の人達を見てどう反応するのか、沢山の犬達を一度に見てどう反応するかのチェック。ビビったり吠えまくったりするのか。

杞憂に終わった。

車酔いも無く、現地に着いても普段と何ら変わりない。逆に興味深々の感じ。一応用心してロングリードにしておいたけれど全然何ともない。つうか雌犬のケツを追いかけてた。おませさんの天狗。

3人の審査員OBの先生方に観て貰った。天狗の気になっているとこを聞いたけれどそれで良いとのこと。



今朝。
いつもよりも当たりが強い天狗。より男になった感じ。

悪女になるなら

今日は有志による鑑賞会に参加。
金指光春先生宅へ車で。田代さんと姉と先生と僕と天狗の相乗りで一緒に逗子へ向かった。
向かう最中の車中でニッポン放送のオールナイトニッポン45周年を聴く。またまた中島みゆきの悪女が流れた。

会場には40人以上集まった。
写真は400枚位撮影したけれど余り良い感じのが少ない。その中でも今日は掲載したい写真を数枚選んでみた。

まずはこの写真。

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神奈川支部の横山さんご夫妻所有の黒毛四国犬。後躯写真。この足なら山を走れるね。

次。

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所有者の横山さんに甘える黒毛四国犬雌、モク。この雌は母犬。もう一頭はこの雌犬の息子。モクの身体を触ってみたくてソロリソロリと近付いて触らせて貰った。大人しいから大丈夫だよと言われてもこの大きさは迫力が有る。

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向かって右側が息子で左側が母犬。あの、凄く雰囲気が有って良いです。本川村からの来客みたい。厳しい中の素朴感と味わい。大楠山で猟をする現役犬。

そしてこの写真

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コメントするのもおこがましいので今日はおしまい。明日に続く、かも。

写真


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桃太郎号-湘南美雅荘 
生後1ヶ月半位の時に写真家・新美敬子さんに撮影して貰ったものの内の1枚。

こんなに小さかったのにな〜と思う間もなく、次々と桃太郎の次の世代の犬達が登場し始めている。感傷に耽る時間もなくなっちゃうね。

今朝はいつもより早くに起床。この位の時間のがやっぱ運動し易いね。遠くの朝焼けも奇麗だし。

何かをするには理由が有る。
犬達の成長過程の写真撮影する理由を人に聞かれた。
ずーっと思ってる事が有る。犬を飼育し始めた頃から。

何事も、口で言って判らない事って思ったよりも多い。日本犬も然り。
口であーだこーだ言うよりも「こんな感じ」って提示した方がより正確性に富んだ情報伝達が出来るんじゃないかなあって。あ、口伝は重要よ。そこんとこは忘れないでね。

温故知新のために、犬関係の書物を手に入れて読んだ。でもまだまだ世の中に日本犬に関する書物が沢山有る。復刊されないもの、復刊できないもの、復刊の希望さえないであろうもの等。
どんな本もまずは読んでみたい。読んだ結果を頭に入れながら先達の方々に聞いてみる。間違いは訂正してくれる。その中の「写真」も。

この部分はまた改めて。

月夜はおよしよ

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あのこもわりとといそがしいようで
そうそうつきあわせてもいられない

           中島みゆき


オールナイトニッポン45周年企画で中島みゆきの「悪女」が1位になった。http://www.1242.com/program/gogoban/
納得。

もう一枚。

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毬古と桃太郎の仔犬達。本日撮影生後25日目。画面左から 高飛車・古鉄・谺。
大分反応が増えて来たのと、当りが強くなって来た。産室の前でちょっと声を出すと飛び出して来る。つい可愛くてドアを開けてからかう。毬古は結構迷惑そうだけど。



今朝はお天気がよかったのでいつもより早く起床。桃太郎と天狗と柊もビックリ顔。いつも通りの順序で運動を済ませる。少し時間が早いだけなのに車の通行量が全然違う。早起きのが要らぬ気を使わなくていい。



天狗を連れ出した時に、ミックス犬オスのショウちゃんに出会った。ショウちゃんはこちらが雌を持っていると案外積極的。天狗のことはお気に召さないみたい。だけど天狗はしつこい。ショウちゃんが逃げても追いかけ回す。ホラホラ駄目でしょと言いつつも引き綱をクッと緩める。ショウちゃんの飼い主さんにも触って貰う。

この何日かでオシッコをする時に足を上げる頻度が上がった。それと少し油断するとオシッコするべき場所に寝転がって身体(特に背中)を擦り付ける。奇麗そうな場所だとそのままにさせちゃうけど。

向こうっ気のあるとこは父犬の桃太郎に似てるかも。威張った後でマウントしてくる回数も増えた。道の真ん中でマウントされるのも何だから余りにひどいと抱き上げて歩く。しばらくすると歩きたくなって暴れるので下ろして歩かせてやる。オシッコかけてこないだけまだマシかも。桃太郎は普通に足にオシッコ掛けて来る。

うわーTVで犬のお産シーンやってる。ぬいぐるみで。

帰って来たヨッパライはリングへの入場禁止

今日も午後1時から仕事中に流れるニッポン放送のごごばんを聴いていた。明日はいよいよ20位からベスト1まで。1位の予想はオールナイトニッポンのテーマ曲ビタースウィートサンバで2位か3位にフォークルの帰って来たヨッパライが入るんじゃないかなあ。イムジン河もランクインして欲しいな。ま、いずれにしろ酔っぱらう時は場所を弁えようぜそこのおばさん。



今朝は比較的晴天だったのでスッキリと目覚め。いつもより少し早くに起きて桃太郎達を驚かせてやった。良い天気に関係無く、桃太郎達はガシガシと動く。

天狗と歩いている時にご近所の"ロロちゃん"に会った。例の天狗よりも2.5倍大きいミックス犬の男の子。天狗はお構いなしにロロちゃんに向かって行ってからかう。ロロちゃんはちょっと困った顔をしながらも天狗の近くに来る。天狗のが小さい分だけあちこち動き回りロロちゃんを挑発する。

最後にはロロちゃんの飼い主さんも呆れて居なくなってしまい、次は柴犬とラブのコンビが登場。少しだけ柴犬に目をやるも相手にしない天狗。天狗は大きい犬が好きなんだな。
最近は交通量の多い道路を横断するのが上手になった。大型車でも気にしないね。
天狗が帰宅した後で抱っこしながら歯の確認したり新しい技「フライングゲット」を天狗にやらせたりして遊ぶ。それを桃太郎が見てて退屈な声を出す。あ、やきもちやいてるな。

天狗を犬舎に入れて桃太郎を再び外に連れ出してやる。朝から忙しいねえ。でも桃太郎との時間は朝風呂の時間を少し削っても惜しく無い。ご近所の方が集まる場所へ連れて行って「長春立ち」する桃太郎。超〜自慢気。尾先がピリピリ動く。それを見てるコチラも自慢気。
ご近所さんが桃太郎に近寄って来る。甘えて飛びかかる。『犬のにおいがするからね〜』と。
満足した桃太郎を犬舎にしまう前に「腹筋百回」やったり天狗の「フライングゲット」を真似させたりしてからかう。嬉しそう。20歳はまだ子供だね。



監督の言う通りに出来ない女優は仕事を貰えない。



まだまだ先の話かと思ってたら今週末から春季日保展覧会が開催。全国展覧会から春季展覧会までってあっという間だね。お正月とか一月は行く二月は逃げるの感覚で。そろそろ引き綱の段取りしないと。



毬古と桃太郎の仔犬達が日に日に成長している。産室の前にしゃがみ込んで話し掛けると近寄って来る。でより一層可愛くなって産室を開けてからかっちゃう。さてと、そろそろ。

『繋ぐだけなら、いいえ、誰でも。』


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紅子号-野武士小屋 
平成22年4月11日に紅子を迎え入れた時に撮影

ただ繋げるだけじゃなく、本質的な純度の高さが必要。そのために紅子を迎え入れることが出来たことは野武士小屋に感謝。

日本犬小型を作出・保存している人間ならばその流れを知らない訳がない伝説の名雌・紅子と同じ名前を持つ野武士小屋作出犬・紅子。紅子がどうやって湘南美雅荘に導入されたのか、そしてどのような結果(紅子の直子として)を残したのかという広告を昨年1年間を通して出陳目録に出した。お陰で、展覧会に出た事のない紅子の名前をより意味を持って知って貰えた。
その広告には紅子やハマナ、ごっちゃんと桃太郎が登場。物語の続きを今年の広告にしようと思ったけれども、同じようなことを続けていくのも良いと思いつつ。色々と動いている最中。
昔は奇をてらったような広告を出したことも有る。犬名や犬舎号を自分で入れるようなものとかね。



毬古と桃太郎の仔犬達の名前が決定した。

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"高飛車"という名前は、僕が通勤途中にお産婆してる姉が写メを送って来て見た瞬間に片足の足袋が目に入り『こいつぁ〜高飛車な野郎だ』てな具合に決めてすぐに姉にメール返信。
"古鉄"という名前は、本当は桃古鉄にしようかと思ったけれど「カ行」で始まる名前は響きが良いと昔から勝手に思ってるので「桃」を抜いた。
"谺"という名前は、金指光春先生に命名していただいた。一週間ほど前かな、先生に名前の件でお電話した時にこの名前が一番最初に出て、それからいくつか候補が挙ったけれど、字面や金指光春先生にお聞きした「谺の命名の理由」を鑑みて、谺に決めた。



高飛車の骨格と骨格に伴う動きは母犬の毬古に良く似ている。

ラジオスターの喜劇

すべてを捨てると、新しい道が開けます。

              大原敬子



今年は朝早くから外に出る用事が多いので平年よりも花粉を浴びる時間が長い上に、花粉の飛散量がとても多い。ついに我慢出来ずに昨夜から花粉症のおくすりを飲用。
おくすりのせいで今朝からダルダル。むくんじゃうし(今日は特に)。
なので飲用止めた。なので例年通り、耐えることにした。



今朝は冷たい雨。それでも犬達が待っているのでいつも通りに雨具着て運動に出掛ける。こんなにサボらずに運動してるんだからも少しスリムになっても良いようなものなのにね。代謝が悪いのかしら。

桃太郎と天狗は相変わらず雨を気にせずにガッガガッガと動く。ごっちゃんも同じ。

ごっちゃんは犬舎を開けるとポーンと僕に飛びついてきて抱っこ出来る。これは小さい頃からの習慣。抱っこしてから引き綱を着けて運動に出掛ける。
うちの雌達は秋よりも春のが被毛の状態は良い。しかも遅めの春。春はごっちゃんも壮犬クラスになる。何処かで出陳したいなとは少〜しだけ思うけれど、ここは一度出産して1年後位に枯れた姿を披露したいしなあなんつう事も思う。



帰宅後、桃太郎と天狗を外に連れ出して眺めた。
桃太郎は夜遊びにいきたそうな感じ。天狗は側溝に流れる水の音を追っかけて忙しい感じ。



毬古と桃太郎の仔犬達は下に敷いている敷物が丁度良いのも有ると思うけどもう歩き出しているのが居る。手を差し出すと戯れ付いてくるのでつい抱き上げてからかう。3頭同時にからかうと大変なことになる。みんな一斉におしっこするしみんな一斉に手を噛み出す。ただし仔犬との距離を気をつけるのは言うまでもなく。



今週のニッポン放送は面白い。
昼の午後1時からの番組「ごごばん」でオールナイトニッポン45周年企画ベスト100のカウントダウン。100曲を5日間で20曲ずつ。
仕事しながら聴いてるとつい手が止まっちゃうね。仕事にならなくなる。あーこの曲好きだったけど最近聴いてないなあとかあーこの曲懐かしいなあとか思いながら。



そろそろ今年の春季展覧会一人旅計画、するか。

柴犬の隠れたスタンダード


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柴犬の隠れたスタンダード 作画・文 金指光春先生
この文章は金指光春先生が20年ほど前に愛犬の友(誠文堂新光社刊)へ寄稿したものです。

■会話から垣間見る柴犬の見方

①目ブチ千両
柴犬の究極の美は、目と毛質にあると思いますが、人里離れた深仙奥山の深渕をのぞく思いの目、すなわち大自然と同化しうる神秘的な美しさ厳しさが表現されている目が最高ですが、ここでは奥まった目、深い目と言っておきましょう。

②真一文字
口吻が引き締まり、唇が一文字になっていて、弛みは良くないといったことですが、口を開けた時、横から見ると深く割れたように見えるものです。

③耳の中が白く抜ける
柴犬は裏白が基本ですが、耳の中の毛が白く、長くないのが、顔貌を引き立てます。

④後頭部より頸部(ナゾエ)
後頭部の充分な発達と頸部に至るまでを言いますが、毛質にも関係し、全体として奥行きのある頭部と表現しましょう。

⑤狐足に似る(ツマミ)
趾部を表現したもので猫足ではない「狐の足に似て、指甲より爪にわたり稍長形をなす」ことを言う。いわゆる大きくなく、しっかりと握りしめていることだと思います。中号(明石荘)、中市号(明石荘)の系統にこの足が多く、全体の動きが非常に敏捷で有ると感じます。

⑥弓状線
後肢がふんばり良く、力強く見え、内側の線が弓を張ったように見えることを言います。

⑦背線との空間は広い方が力強い(オニギリ1個)
オニギリ1個、または、ムスビ1個と言いますが、巻き尾でも背線と尾の間にオムスビが1個入るな空間を持てと言うこと、すなわち、巻き過ぎはダメといった意味と思います。

⑧幅広いものは動きが重い
太いとか、大きいとかの表現は必要なく、内側の弓状線と共に、厳しい、強い、逞しさが必要で、角度と連係して、筋肉、筋腱の発達と共に、乾燥した体質からくる動的メカニズムが要求されます。無論、各部との調和の比例ですが、電光石火の動き、猟野での能力発揮の上からも、この部分に注視することによって、他の各部も理解できます。

⑨被毛は三段毛
顔貌など精神的な表現以外から、外貌上の素朴感は、実にこの被毛から受ける比重は高く、純粋性をも表現します。この三段毛とは、1本の毛が赤毛の場合、先端の五分の二が赤、次に白くボケ、その次に黒い部分が五分の一、後は毛根まで白くなることを言い、中号(明石荘)、中市号(明石荘)の系統に多く、現存する系統では、白馬の源号(琅鶴荘)の系統、山陰系統の中の冴え味のある少し黄味を感じさせる柴犬の赤毛に多いとだけ述べておきましょう。


■稟性

 柴犬の神秘的な特性を一般的には稟性と呼んでいますが、柴犬の本質の中で最も重要な柱の一本で有り、純粋性と共に持っている総体的な特性、性質の「悍威・良性・素朴」から品位、精神状態の表現まで、有形、無形のものです。
 一般的には、この稟性、すなわち、本質的なものが非常に神懸的とまで言えるほど理想的に説明されていますが、実際には、犬の気質は飼い主に、大変感化影響されると言われます。特に柴犬のように原始的な犬は、長い年月の歴史を日本民族と共に生活してまいりますと、日本民族の気質が柴犬にも現れるもので、一、他人になかなか慣れない。二、感情の表現が地味で分かりにくい。三、非社交的で頑固で有る。四、非常に勇敢であるが、反面喧嘩っ早い。五、特に訓練しなくとも、家庭犬として容易に定着できる。六、他の生物に対しての感心が高く、猟性能が有る。七、帰家性もある。
 このような本質が、精神的な面として内在しています。よく展覧会場などで「スタンダード通りの犬を作出して連れて来たから今日は1席だ」と公言している人を見かけますが、柴犬のスタンダードとは標準体形のみを言っているのでは無く、最も重要な本質とその表現までを言うので有り、そんな場合、その犬は、飼育者に似てチャラチャラとした軽薄なものが多く、稟性を中心とした柴犬の品位、風格の美しさなど感じられません。所謂柴犬としての価値の低いものが多いと思えます。「仏作って魂入れず」といったところでしょうか。
 柴犬は日本の有史以来、猟犬として、その姿態、精神的なものも含めて、あくまで祖先が持っていたものを具有していなければなりません。そこに柴犬の存在価値の大部分が有り、保存も含めて、柴犬に対する日本人として、熱い血が沸き立ってくるのです。
 審査は、確固不抜の信念と勇気、学識経験と熟練を積み、犬を一見してその価値を洞察し得る能力が判定に現われます。その能力と判定いかんによっては、実に柴犬の盛衰に関わるといっても過言ではありません。
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