柴犬の本質について

出典 
社団法人(当時。現在は公益社団法人)日本犬保存会 平成14年度会誌より



柴犬の本質について  金指光春

はじめに
 
 わが柴犬も、その数においては安定期に入り、平均的レベルは向上したことは事実であります。
 しかし、種の発展、安定には、常に数と質の向上が不可欠であることが基本であり、数がほぼ達成された今日、その質の向上に目を向けることが最重要なことであります。「数から質への移行」である。
 近年、ペットブーム、また柴犬人気とともに柴犬も、人為的に作られたような姿態、すなわち外面的にきれいなショードッグ化した犬も多くなったのも事実でありましょう。
 否、そのような犬が目立ち、それが美しく良い犬であるかの如くの声を時折り耳にするにつけ、柴犬本来の日本的精神美と姿態の表現について述べて述べてみたいと思います。
 日本人は、一輪の花の生け方、一つの石にも美の結晶を造形するという、比類のない美学を作り出した。また一粒の露に人の生命のあわれさをうたう心を持つ、と日本通の外国人は語る。
 展覧会の過熱化、あるいはインスタント作出化?は、柴犬の欠点を取り除くことが主体の作出におち入り易く、時間のかかる本質的高さを求める長所の積み重ねの作出が影を潜める結果を生み出しかねない問題点を含むのではないかと心配する次第であります。
 血脈の尊さというか、年月を積み重ね地味に真剣に本質を追求し、作出された柴犬のみが持つ表現力とその味わいとの出会いは、犬の持ち主なんか誰れでもよい、ただただ、その犬との出会いの喜び、長年柴犬に真剣にかかわった人のみが感受できる喜び、否、優れた感性を持つ外国人にも理解されるものと思います。
 柴犬は、私達日本人が長い歴史を積み重ねる中で生活を共に歩んだ犬種で、遠い昔からの血脈があり、現在そして未来に生きる人々に正しく伝えていくところにも飼育の価値もあり意義もあります。故に単純に個人的な都合、単なる趣味、娯楽、物好きでの視点で、日本犬の展覧会を単なるショードッグと解するのは、文化財保護としての精神からすれば少し違うのではないかとも思います。
 原種的価値の高い犬種であることを皆様に深く認識していただき、本題に入ります。

一、本質の見方

 日本犬保存会の日本犬標準を述べて解説して事足りたりとしたら、会員の皆様は、例の如くのことかと、あるいは今さら日本犬標準でもあるまいと会誌を閉じてしまうでしょう。
 古い会員が、最近の柴犬はキレイになったが味のある犬が少なくなった、ということを時々耳にするが、胸に突き刺さるものがあります。
 ただその数において、日本的な味わいを失いつつある、所謂日本犬、仕方なく承認しようという程度の柴犬も多いことも事実である。
 今こそ根底から見直し、「これが柴犬だ!!」と公言しうるような柴犬を数多く作出することの大事さを認識することが必要ではないかと思うのであります。
 柴犬は元来、主として山奥の猟師の下で鳥獣猟犬としてその命脈を保ってきた犬であり、展覧会出陳犬といえども、その姿態、動作、性格、資質はあくまで昔日の祖先の持っていたものを備え持っていてこそ、柴犬の存在価値もあり、犬種に対する愛着も生まれ高まるのではないかと思います。
 その向上は、展覧会での審査員の能力と判定いかんは、実に柴犬の盛衰にかかわるといっても過言ではないと思うのであります。
 公平であるべきは当然とするも、日本犬を愛する、燃えるがごとき情熱と、確固不抜の信念と勇気、学識経験と熟練を積み、犬を一見して、その犬の価値を洞察し得る能力を持ち、個体審査中のみならず、リングから審査犬が退場するまで、常にその犬の稟性について観察し、ハンドラーの行動、たとえば首つりハンドリングなどについても留意しなければならないと、常に審査部研究会において、指導、教育されているところであります。
 さて、一寸かたい表現になりますが、本質の基本は、わが国古来の柴犬の特徴、特質を基として、その性質、素質であり、その表現とは、有形、無形のものが対者にその本質を感じさせるところにあります。
 悍威、素朴、良性が三大支柱であることは周知のとおりでありますが、分りやすく述べると、悍威は、気迫、度胸であり、当然、姿、形よりも、ポイントは高く、これの弱いものは柴犬としての価値はすこぶる低いといえるのである。この悍威は柴犬の真髄であります。
 次に素朴は、風格であり、柴犬の持つ自然美であり、これの地味と品位の和を渋いという表現をします。
 良性とは、柴犬らしい、忠実、従順な性質、気質であり、この三大支柱と柴犬としての純粋性が本質であります。
 この柴犬の本質を支えるものは、犬体の構成、肉体的の組織とその素質であり、強壮強靭で、本来の使役犬としての能力、嗅覚、聴覚、視覚とか、知的能力、本能的能力など、内因、外因感覚により行動をはじめる感覚は鋭敏性、動作の敏捷性、軽快で弾力ある歩様など、本質と体質は車の両輪のごとくであります。

二、審査員は、本質とその表現をどう見るか

 まずリング内で、内々たる気迫、常に動作は自信に満ち、沈着、大胆さが表現されていること。それは特に目の表現を重視し、耳の動き、尾の表現、全体の動作で感受できます。
犬の心を表現する目は、その形、色素はもとより、輝き、動きで、大胆、勇敢、沈着、忠順、智力、鋭敏さが表現されております。
 いいかえれば柴犬の稟性の良し悪しは目を見れば分るという言葉は的を得ているといっても過言ではないと思います。
 無論、感情、体調、体様の実態の良否によって表現の変化はありますが、観察の正否は稟性を中心とした精神的特性と感覚、敏捷性のある動作、良い体調、体様の持久力ある軽快な動作、これを支える体質が稟性との調和によって十分に表現されていてこそ本質的に高い柴犬であると見るわけであります。
 特に日本犬の中での柴犬は小型ながら、調和のとれた力強い体躯、体形、前記精神的な特性、特質と動きを支える乾燥度の高い体質、品位と素朴感のある顔貌である。
 これは良質形質の犬の積み重ねによって実現されるものであり、血統は最重要になります。
 さて、柴犬は洋犬と異なり他人になかなか慣れにくい、感情の表現が地味で分りにくい、非社交的で頑固である。また非常に勇敢であるが、反面ケンカ早い、猟性能が高い、帰化性があるなど、長所、短所を持っています。
 最後に純粋性ですが、よく『日本犬究極の美は目と毛質にあり』という言葉がありますが、目についてはある程度述べているので、後者の毛質について述べてみたいと思います。
 柴犬の毛質は野性味すなわり自然と同化しうるような素朴な色彩と質を持つことが重要で、狼とか野性犬科動物とかなり近い味わいを持っています。いつの頃からか派手な濃い赤毛が最良とする風潮があるが、暑苦しい感じの毛色と勘違いする向きも多くなり、その毛質も硬度と開立がとぼしく綿毛の密生度も少なく、冴え味もとぼしいものが多い。黒、赤、胡麻毛と毛色に関係無く毛色はうら色と冴えを基本に、剛毛は根白、綿毛も大部分の個所で白く抜けているのが純粋性のバロメーターと見るべきであろう。

 終わりに、犬体の一部のみにとらわれて、基本的な本質を忘れないこと、自己の所有犬の評価だけに一喜一憂するだけでなく、他犬の基本的な長所を感受し、展覧会を自己研修の場とするならば、楽しい一日となるでしょう。そういった意味でも日本犬の魅力はその本質であり、永遠にこれを価値とし守っていかねばならないのであります。追求すればかぎりなく、これで事足りたとの思いは遠く道程は長い。小さいながらもキリッと締まった姿態と素朴感のある気性のしっかりした柴犬を追い求めながらペンを起きます。

*参考 審査部研究会資料一部抜粋しました。

上から目線の『いいえ、だれでも』。


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こだま:『よっ、お前、この家を出てくんだって?』
高飛車:『お前のが弟なのに上から物言うのやめろよ』


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こだま:『よぉみなさん、コイツに良い縁が有るように祈ってくれよなっ!』
高飛車:『だから上から物言うなってのに』


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よろしくなっ!



引き続きお風呂で会誌を読む。今日はごっちゃんの三多摩と東京の個評を読んだ。

思い返してみたらごっちゃんは昨年一年間頑張ったな。JKCと日保の展覧会。
JKCのショーでは東京インターでG2、神奈川インターでBIG。
春季三多摩支部展で1席若犬賞、神奈川展では6席、山梨展で「5」席若犬賞、群馬支部展で2席若犬賞、東京支部展で3席若犬賞。秋季神奈川展で3席若犬賞、三多摩展で1席若犬賞、東京展で1席若犬賞。偶然だけど審査員はどの会場も重ならなかった。棄権したのも全国展だけ。

今日も犬達はいつも通りの日々。
天狗は遠くを歩いてるロロちゃんと飼い主さんを見つけた。ロロちゃんの飼い主さんは一瞬気付かないフリをして(いるようにみえた)違う道に行こうとするも諦めてコチラに向かって来る。
天狗の動きが止まり、ロックオン。パキっと立ち止まったまま、尾を下げる。顔はロロちゃんと飼い主さんに向ける。尾を下げるのは、前方に意識が集中しているから。
ロロちゃんにじゃれつく天狗。それを見た小学生が近付いて来て天狗に触ろうとするも無視してロロちゃんにじゃれつき止まらない。ロロちゃんの飼い主さん困り顔。またね〜と言われその場を去る。つまんなくなっちゃった天狗、今度は小学生の後を着いて行く。

明日の夜は金指光春先生を訪ねようかと思う。

虫がワラワラ啓蟄


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向かって左から 高飛車・古鉄・谺

毬古と桃太郎の仔犬達。今日で36日目。だいぶ大きくなった。どの仔も頗る良い性格+見た目通りの性格。面白い。三つ子の魂百まで。
毛色は抜きにして毛質は谺が桃太郎に最も良く似てる。山猿みたい。みんな歩くのが速い。推進力は問題無さそう。
仔犬達に最近少しずつ外気へ触れる機会を姉が作っている。8面サークルに放つと反応も様々。これも三つ子の魂百まで。

この数日、いつもより小学生の登校時間が早まっているようで天狗が大喜び。自分と同い年くらいに思ってるのかも。おまけに今日はロロちゃんと出くわしてロロちゃんにしつこくしてた。ロロちゃん迷惑顔で飼い主さんも「またね〜」みたく足早に去って行ってしまった。
オシッコをする時に足を挙げるタイミングも大分上手になった。偉そうにグイっと足を挙げる。いっちょまえ気取りな感じが可愛い。

桃太郎もいつも通りに運動。元々ちょっと変わってるな〜と思ってたけどやっぱ変わってる。それは、引き綱を持つと、解る。これ以上は口で説明しきれないね。

毬古と桃太郎の仔犬達の中で1頭、高飛車を家庭犬として譲ることに決めた。
作出者の責任として、一生涯大事にして貰えるようなオーナーを探す。可愛いだけじゃ駄目なんだと言い聞かせる。



人と怒り所が変わってると言う気が以前からしていたけど、多分そうなんだろうな。

見間違いは誰にでもある

我が家は日保の会員が3人居る。父と姉と自分の分。父の会費は桃太郎が終わるまでは年会費を払うと決めているので、会誌は毎号必ず3冊来る。
2冊は玄関ホールの本棚へ。1冊は読む用に開封。それをお風呂に持って行って(濡れないように)読むのは至難の技だけど至福の時間。

全国展覧会の号は読み応え、見応えが有る。全国展覧会の写真がカラーになったのも大分前から。
現地で観てた風景をリアルに思い出すね。

個評を読むのもいい。
そういえばごっちゃん神奈川に出陳したな〜と思い出して個評を探す。あ、この次のページかと、3席の位置を読むと「拝み尾」の表現が有って焦りまくり。ああそういえばまだ換毛の最中だったし友人にも『あの尾はまだ毛が』って言われたなあと思い返したり。
で、グルグル脳内で思い返してもう一度よく個評を見たらなんと他の方の所を読んでしまってた。ごっちゃんの個評は拝み尾の指摘は無かった。

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その時の写真がこれ。

毛は無いけど拝んでない。良かった。・・・ん〜、でも良く見ると少しアレだね・・・・・・。今は冬毛でバッチリだけど。



眠る前に桃太郎と天狗の排尿をする。野性動物でも居るのか、桃太郎が野原に向かって咆哮する。地鳴りのような咆哮。しかも排尿しながら。
天狗も声が変わって来てちょっと似て来た。甲高い声でキャンキャン吠える犬の声は耳障りだけど、桃太郎のそれはゾクゾクする。

日本犬の眼

出典  「日本の犬と狼」 斎藤弘吉 著
     昭和三十九年八月一日 雪華社 刊



【 日本犬の眼 】


 我が国古来よりの犬の眼の説を申し上げますと、今より約四百三十年ばかりの前にあたる永正三年三月吉日の奥書ある、『斎藤朝倉両家鷹書』という秘伝の犬の相好の事の部に「かくの如くなる犬よし、いろいろ口伝ある也。いぬいかにも目のまえをれて」云々とあります。この目のまえをれてとは、素直というような意味合いではないかと存じます。
 小橋治郎右衛門『犬の書』、これは慶長二十一年八月十三日の奥書のある、すなわち今を去る約三百二十年ばかり前の書でありますが、この書の乾の巻、犬見様の事の部に「目ははし前斗りまもり、まぶち高く、目色はしゅたんにあぶらをおとしたるがごとし」云々、また「犬めきき(中略)見様口伝なり、まなこのつき様いろいろふく中までも見る也」とあります。目ははし前すなわち喙ばかり守り見るということは、いたずらにきょろきょろせぬ、落ち着いた、胆力のある、しかも鋭敏な精神を表わす眼の表情を巧みな言葉でいったものであります。まぶち高くということはむしろ眼球の張り出ぬ、奥まった眼という意味と解釈したらよろしかろうと存じます。目色はしゅたんに油をおとしたるがごとしのしゅたんはなにをいったものでありましょうか、朱丹の意味かとも考えられ、あるいは紫檀の意味かとも考えられます。油を落としたるが如しの一句で大体の虹彩の感じを表したものと思います。また犬目利の部まなこのつき様いろいろとありますが口伝となっていて残念ながら判明致しません。
 『唐流鷹深秘訣抄』の犬吉相の事の部には「眼は一つ」として「いかにも目あひ近きを良とす」とあります。この書の犬吉相の書き振りはいかにも変わったものでありまして、耳の説でも申し上げましたように、「疣か耳か」として「いかにも耳ちひさきをよしとす」といい、やや極端に説いております。この目あいもあまり離れたのは、いかにも愚鈍な相でありまして、御犬名所図やその名所の説明を書いた『御犬書』を見ますと、この目あいの延びている犬を河伯子犬と称し、定家卿鷹三百首中の和歌「谷川の流るる上を風かけて、鳥をたつるやおその子の犬」を引いて、「谷川などにてかくるをば、谷渡りともいへど、かけこすとも云がよきなり、おその子の犬とは鳥をば立れとも犬やりの遅きをぞなり、此の目あひの延びたる犬は下かんなるもの也、それをおその子の犬と云ふ」と説明しています。
 犬やりとは、ここでは犬の突込みのことを意味し、下かんは勘の悪いという意味であります。しかしこの目あひ近きを良しとするも、離れ過ぎぬようの注意と解釈したらよいと存じます。その他『鴨寄犬引伝書』の鴨寄犬の相形の部には簡単に「目は茶色」といっているだけであります。
 我が国の最も権威のある秘伝書の『蒼黄集』『蒼黄秘抄』は眼についてどのように伝えているかと申しますと、いずれも犬を相する上において、最も重大に慎重に取り扱っております。『蒼黄集』『蒼黄抄』は、この眼のところは同文であって、「犬形之事」の部に次の如くにのせてあります。
 「(前略)眼至って見所あり、考る所此の一眼に限れり。口伝あり習を得て明むべし。有増をしるす。白犬に黒眼あり、黄犬にかし目と云て鷹の眼の如く玉のまはりに大なる輪あり、人目より惣眼とも赤し、黄犬に限らず他の毛色にも眼替あり、多く気性強しと云へり。さかしきあり、にぶきあり、せはせはしきあり、静かなるあり、気短あり、温和なるあり、強気あり、至て愚なるあり、是皆いぬを繫ぐ時目を持って考ふ。見立てる時に犬を好くと見損あり。巧をと得見立べし」
 まず、犬を相することのうちで眼は最も肝要である。考究するところはこの1ヵ所であると、その重大に扱うべきことをいっています。次に口伝あり習を得て明むべし、すなわちその微妙なところは書いて伝うべくもないので口授を受け、かつ実際に経験を積んで会得せよ、しかしながらその大略を記すと断って、変り目のことすなわち尋常の目色でない眼について、また眼によって判断する犬の性質、賢、愚、利、鈍、強、弱、静、懆、をいろいろ述べております。最後に是皆いぬを繫ぐ時、眼を以て考ふ。すなわち犬を選択する時は眼の表わす犬の性質を考えて決定するのである。といっております。繫ぐといいますのは、当時公儀御犬牽が、町や村々に放し飼いされている多くの仔犬中から、自分の仕込まんとする犬を一頭選択して、まず馴れさすために自分のところに繫ぎます。それで選ぶことを繫ぐと申したのであります。当時公儀犬牽は、一人に付いて一頭乃至二頭の犬を受け持って専心調教したものであって、この一頭乃至二頭のために代々扶持を頂き、その犬の調教のできばえ、将軍家御前での犬の働きばえによって、一身一家の浮沈に関係するものでありますから、その仔犬の選択も苦心をしたもので、名犬となるべき素質を持っている犬を、探すにずいぶん苦労したものと推測されます。繫ぐ時眼を以て考ふ。眼をもって犬の性質を判断するに精力を傾倒したものと思います。なお最後に、見立る時好くと見損あり、巧を得見立べしと注意がしてあります。最初に見たときに毛色や、形等によって、好きな犬だと思って見る時はその犬の性質の欠陥が判らず見損うことがあるものである。単に観賞のための犬ではなく、調教使役せんとする犬を選ぶときは、好き嫌いに煩わされずにその犬の本質を見抜かなくてはならぬ、それには巧を得、すなわち、不断の研究と多くの経験を経て選択せねばならぬと結んでおります。
 蒼黄秘抄には次の如くに書いてあります。
 「(前略)此の形を考見て何もよき様にみえ候はゞ、眼中を得と見るべし。人に愛されてそだち、食餌にも乏しからず成長したる犬は、眼中すなほに見え、恐けも少く、自然と性のよき所見ゆるものなり、か様の犬を好て用べし。相形は能く見え候ても、常に人に追はれ呵られ、食にも乏しくして成長したる犬は、自然と眼中にこりありて、人を恐れ形気悪し、か様なるは馴けもむづかしく、取り扱ひむづかしきこと多し(下略)」
 「(前略)眼中はたいゆうなる所を好む。(中略)眼中黒目がちにしてぎろぎろしたるは、得てさわがしくしてよろしからず。鳥当りにもさわがしく、年老ても直りがたく、少の事にも恐れて鳥をけ逵ること多し」
 前文のこの形を考え見てというのは、犬体各部の体型毛色その他すべてを考究してみて、良しと考えたなら最後に眼をとくと見られよ。生い立ちの良いものは性質素直であって、仕込みも容易であるが、形は良くても生い立ちの悪いものは性質が素直でなく、仕込みがむずかしい。このような犬は、眼中に自然と凝りがあって、すなわちなんとなく不純なところがあって判るものであるといっております。後文には眼中大勇なる所を好むと書いてあります。大勇なる性を表わす眼、すなわち眼の形、色、動き、表情が悍威、大胆、細心、賢知、順良、落ちつき等を表わす所のものは、最もよしとしております。これは猟仕込みのことのみならず、あらゆることに使役するに理想とすべき眼でありましょう。眼中黒目がちであって、ぎろぎろとしたのは得て騒がしくてよろしくない。鳥の嗅にをつける時でも騒ぎまわり、いささかのことにもびっくりして、鳥の嗅いをかぎちがえること多く、この性質は年老いても直らないものであるといってます。この黒目がちでぎろぎろした犬というのは眼の大きい、張り出たものによくあり、ちょっと強そうに感じるものでありますので、特に注意したものと思われます。
 以上は我が国古来の眼についての説でありますが、動物学の世界を見ますと、故渡瀬博士が「眼は茶色で、ある角度をなして上に向ひ」と講演したと『理学界』にでており、『動物辞典』には「眼は稍斜にして勇猛の相あり」としるされて、いずれも外眥の上がることを申しております。変わり目については『両羽博物図譜』が「眼の白青変駮馬の如きを見ること一にして足らざるなり」と述べております。しかしこれは明治三十年代の洋犬のだいぶ入り混じった時代の見聞記でありますので、我が国古来の犬にかのごとき変り目ありや否やは、今後の研究に属することと存じますが、鹿児島地方においても明治初期に金目、銀目、の説があった由を聞きます。しかし同地方は最も早く外国のものの輸入された土地で、洋犬の入ったのも全国中最も早い部に属する地方ではないかと考えられます。
 本会規定の日本犬標準の眼の部を見ますと、「稍三角形にして、外眥上り、虹彩濃茶褐色を呈す」とあります。これに私自身の考え、解釈の仕方をそえて申しあげますと、まず第一に眼が適当の位置にあって、両眼のあまり離れ過ぎぬこと。もちろんあまりに近接し過ぎましたものは嶮しい、陰険な感じが致しましょうが、近接過ぎると思われる眼は少なく、離れ過ぎると思われる眼は多少見受けられます。それで昔から、目あいの延び過ぎぬことを注意致したものと思われます。第二に眼の形のやや三角形で少々外眥上がることであります。眼の形は犬のその時々の精神によって変化あるものでありますが、その平静な時の眼の本来の形が、下目縁線がやや一直線をなし、少々斜めに上り上眼縁線は内眥すなわち目頭をなす方の線より外眥すなわち眼尻をなす方の線がやや長く、三縁線のなす眼の形は、やや三角形に近いように思われます。眼が丸くて目尻の下ったものは日本犬にはないように存じます。第三に眼の大きさでありますが、特に大きな眼は自然出張り出た、俗にいう出眼に多く、いわゆるぎらぎらとした眼で、臆病、少しのことにも騒しい犬に多くあります。特に小なるものは、多く眼の深まった位置にあります。このような眼つきのものは、勇敢であるとともに強情な性質も多いように存じます。やはり家庭犬としての日本犬は大ならず、また、極端に小ならず、中庸を得た程度の眼が望ましいかと存じます。第四に眼の深浅であります。もちろん張り出た俗にいう出眼は悪しく、やや奥まった位置でなければならぬと存じます。ただここに御注意申し上げますのは、同じ程度の奥まった眼でも、眼の大きさの小さなものは実際以上に奥まった感じが致し、同じ深さでも眼の形中程度のものは目立つほど深く感じないものであります。第五に虹彩の色であります。しかし日本犬そのものの目玉の色は濃茶褐色が基でありましょう。これより深い色をしているものに、やや青みがかった、深海の色とでも申すような眼があります落ちついた大胆な性質のものに多いように存じます。ここに御注意申し上げたいのは、左右の虹彩の色の多少ちがうものがありますことで、私のかつて飼育しておりましたあ、小型の牡は、左眼が濃茶褐色で右眼が今申し上げました深い青ずんだ眼を致しておりましたが、気性はなかなかよい犬でありました。目玉の外輪にやや色の浅い輪の入ったものがありますが、日本犬としては体型のやや感心せぬ犬に多く、かつ気性も、鼻っぱしは強くともどうも最後の落ち着きがない犬に多いように考えられます。第六に眼の動きであります。さきほど申し上げましたように、昔の秘伝書には「はしさきばかり守り見」とありますが、要は、ぎろぎろ、きょろきょろせぬ目使いが大切かと存じます第七が以上を総合しまして眼の表情、その犬の心を表現する眼の表現であります。眼のかがやき、眼の動き、眼のすべてが日本犬の本質である悍威、大胆、素朴、落ち着き、忠順、素直、彗智、鋭敏を表わすものでなくてはならないと存じます。
 なお眼の外傷その他は多少注意すれば判明致しますが、普通と変わりないように見えて、視力のたいへん弱い、俗にいう鳥眼と称されるものが犬にもあります。これはよほどご注意なさらぬと判明せぬことが多いように存じます結局眼によって犬を相するということは、その人その人の深い体験によって会得すべきことで、古人のいったように、巧を得て明むべしの一語に尽きるかと存じます。(昭和九年十一月)

それはムチじゃなくてクス


ソウル  リクオ&ハシケン



今日は少しだけ睡眠時間を長くすることが出来たので良い休養になった。遅く起床しても犬達は大体いつも通りに。

そして今日は天狗の体高測定と、展覧会出陳犬達の引き綱合わせ。
産まれた時の天狗は5頭兄弟姉妹だったのも有ると思うけれど大きさ的に小じんまりしてた。現在は天狗の父犬・桃太郎の"同時期齢"と変わらないね。良かった。

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天狗号-湘南美雅荘

姉が天狗の綱を持って静止させた。いつも自分で綱を持って歩いている時と見え方が違う。おーこっちに目線をくれるじゃないの。とてつもなく生意気な面構え。写真撮影しようかと思ったけどやめた。

紅子に孫(毬古の仔犬ね)と初対面させた。喜んでた。そのままオシッコの世話してくれるんじゃないかくらいの勢いで。絶対にしないだろうけど。
ハマナに孫(桃太郎の仔犬ね)と初対面させた。怒ってた。ハマナは息子の桃太郎には優しいんだけど他の犬はどうも苦手みたい。仔犬でも。

昼間、のんびりとTVでYouTubeを観る。今まで公開してきた犬の動画からお気に入りの音楽まで。気がついたらもう夕方。いつも通りに犬達の世話をする。

それから先日金指光春先生にお借りした資料を読む。読み始めると読み耽ってしまう。繋がりがちゃんとしている。金指光春先生と先生の師匠、故・松本克郎先生の関連性に注目。それとコトの整合性の確認をする。

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もうすぐ7ヶ月になる天狗。天狗もこんな小さな頃があったんだなあとしみじみ。

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ぐにゃりんこで可愛かったな〜。

いつも通り就寝前に桃太郎と天狗の排尿をさせる。ホントは『待ってました〜!』のクセに天狗はわざと仰向けになってる。変わってるね。父犬の桃太郎と同じ。でも桃太郎の足は臭くない。

朝の挨拶

昨夜は窓を開けて寝たので今朝は多分花粉まみれになってたはず。目と鼻と喉がひどいことになっている。何となく夕べ暑かったんだよね。それと湿度も高かったし。

今朝はいつもより30分目覚ましが鳴るようにセットしてあったのが間違いの元。ピピピの音をすぐにストップさせたのに、音を聞いて桃太郎が騒ぎ出した。『起きてるなら行こうぜ~!』みたく。

それでもいつもの時間に起きてやった。

まずは天狗をサークルに放して排尿排便をさせる。天狗は母犬のはつ恋と同じ排泄の仕方をする。そういうとこも似るものなんだね。

天狗の排泄が終わると次に桃太郎の引き綱を持ちながら『おはよう』と言うと『オハヨーウ!』と返事をする。毎日の繰り返しって大事だね。録音してYouTubeにアップロードしたいくらい。

桃太郎はいつも通りに推進力が凄い。それと今朝は山鳥が沢山いて、あちこちに飛来しているのを見付けるたびに反応がすごい。あーこのまま引き綱を放してみたいなーと思うが、我慢。

若2期から壮犬期に入って来てより体躯が充実してきた。このまま何事もなく完成に向かうんだろうな。そう思いながら食餌の後で抱っこして毛を触りながらベロベロなめられながら。仕草にはまだ子供っぽいとこが有るけど雄だからかもね。

ごっちゃんはもうすっかり雌の体型が出来上がってる感じ。ごっちゃんは早かった。今日もいつも通りにハリハリ綺麗な歩様で運動出来た。春季、どうだろうね。

問題は天狗。
一筋縄では行かないやんちゃ坊主。いつもは外で排便しないのに今朝に限って排便。で、終わったら後ろ足でガッガッとやりやがった。匂い付けはするし無駄にオシッコの回数もするし。
天狗と一緒に家に着くと姉がまりこの仔犬達の爪の先を切っていた。伸びて来てるからまりこの体を傷付けないために。

で、爪を切り終わった仔犬を天狗に見せた。
ちょっと緊張しながらも、お兄さんぶってる。天狗もちょっと前までこんなんだったくせに。犬の成長は本当に早いね。



まりこの仔犬達を今日は初めて外に出した。
それぞれが、多分こうだろうなと思ってた通りの反応と動きをする。差し尾は何頭なんだろ。

温故知新 *パンドラの箱


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桃太郎号-湘南美雅荘 仔犬時代

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桃太郎号-湘南美雅荘 若犬時代


『どうして桃太郎君を褒めるのか判るか?』と金指光春先生。
ぼんやりした輪郭は判ってたけれど、先日お借りしたファイル2冊を読んで、それが間違いないと判ったし、確証した。『良い犬なら何処に居てもいいんだよ』って言ってたのも理解した。

桃太郎が産まれる前から『ハマナと金太郎の組み合わせなら雄に絶対出る』と、姉と僕は言い切った。桃太郎が産まれてから金指光春先生にそれを話したら『生意気だな〜』と言われた。

生後一ヶ月過ぎ位に先輩達にも桃太郎を観て貰った。暑いさなか神奈川支部展覧会にも連れて行って観て貰った。
その後、桃太郎がどう成長しているか、あの眼がどうなっているのか知りたいからと、三重の土本さんから言われて生後3ヶ月過ぎの桃太郎を静岡の展覧会会場に連れて行って観て貰った。勿論、金指光春先生にも同日に観て貰った。この日桃太郎を観た時に確信を持ったと後日言われた。



古書やさんで日本犬の写真集を手に入れた。
2冊で抱き合わせだったが欲しかったのは1冊だけ。
2冊で16000円だったので1冊だけにして欲しいと交渉。1冊12000円でと言うのでしぶしぶ了承して購入。をいをいと思いつつ。

先方から「商品はお手元にとどきましたか」と電話。どうやら間違えて2冊送ってしまったようで。
代金引換で送り返す送料も勿体無いし梱包するのも面倒なので、買い取って上げるので値段を相談して連絡下さいねと先方に話す。2000円で交渉成立。何となく勝った気分。



今日は風が強くて花粉が飛び交っていたせいで大分酷い目に遭った。でも今年も薬に頼らないと決めた。マスクにもね。来るならどうぞ。夜になったら大雨だし。



今週末はゆっくりと休養しようかと思う。来週から日保の展覧会も始まるので体力温存しないと。

成長過程とおじいちゃんになった気分


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画像左から 高飛車・古鉄・谺
父犬 桃太郎号(湘南美雅荘)
母犬 雅の毬古号(湘南美雅荘)
平成25年1月28日生まれ 
本日撮影生後31日目

この時期、仔犬達はあっという間に大きくなる。見逃せないね。6日前に写真撮影した時と雰囲気が違う。どの仔犬もかわいいのは変わりないけど。

取り敢えず谺。眼が開いてるのか閉じてるのか判りにくいけど本当はちゃんと開いてる。眼が開いてないとこなんて父犬の桃太郎も同じだったな〜。眼の力は大事。大きさじゃなくて。

毬古は相変わらず仔犬達の面倒見が良い。産室もとても奇麗。フレディマーキュリーみたく掃除機掛けてるのかしら。今も産室の前で書き込んでるんだけれど、仔犬が毬古の足をかじってる。でも怒らない。ヒョイっと足をどける。それでも仔犬は足をかじる。また足をヒョイとどける。観てて飽きないね。毬古は湘南美雅荘での子育て上手ベスト1。
毬古の足をかんでた子は眼が冴えちゃったみたいで眠ってる他の2頭にのしかかる。あ〜観てて飽きない。



昨夜の用件の事で朝一番に金指光春先生から電話。朝から元気な金指光春先生。昨夜借りた資料、早く複写取らないとね。今日は半分量だけ複写したからまずはそこから読み始める。



桃太郎とごっちゃんと天狗は春季、良い状態で出陳出来そう。
あとは不変のものを見せるのが楽しみ。本質は変えようが無いし変わらない。最初からそうなら死ぬまでそう。変わらない。

りあるらゔ



毬古と桃太郎の仔犬達の一胎子登録申請書類を日保に郵送した。
昨年と一昨年に毬古が高評価の席順を戴いた賞歴も一緒に毬古の血統書へ記載申請。そうすると仔犬達に母犬の賞歴として掲載される。思う評価に伴う席順を得られた時は凄く嬉しいよね。

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「高飛車」と「古鉄」と、金指光春先生が名付け親の「谺」。所有者は姉。雄犬の所有者は必ず姉にする。これは武田家の掟。決めてある。

が、、、

天狗は姉の名義になっていない。天狗の兄弟姉妹を一胎子登録した時に所有者の欄を書くの忘れちゃってたの。今更替えるのも面倒だけどいつか替えるつもり。



そろそろ出陳申し込みを郵送し始めた。



夜、金指光春先生宅へ。
また書物をしこたま借りて来た。金指光春先生がファイリングした松本克郎先生の。
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