THE BOX OF PANDORA


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This material issued 31. July 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第七号(昭和十六年七月三十一日発行)より

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This material issued 29. June 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第六号(昭和十六年六月二十九日発行)より

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This material issued 25. May 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第五号(昭和十六年五月二十九日発行)より

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This material issued 25. April 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第四号(昭和十六年四月二十五日発行)より

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This material issued 25. March 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第三号(昭和十六年三月二十五日発行)より

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This material issued 25. Feb 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第二号(昭和十六年二月二十五日発行)より

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This material issued 25. Jan 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第一号(昭和十六年一月二十五日発行)より

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This material issued 7. Dec 1940 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第九巻第十一・十二号合併号(昭和十五年十二月七日発行)より

第六感について

「第六感について」  松本克郎
This material issued 7.March 1938 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第七巻第三号(昭和十三年三月七日発行)より

 ゲエテはその戯曲「フアウスト」の中にヒロイン、グレエトヘンを登場せしめて自己のあこがれる永遠の女性を見出さうとした。はたして彼は全き彼の幻想の中に求める女性を遺憾なく描出し得ることが出来たかどうか天才の心事は吾々の推察の及ぶところではない。ゲエテを気取るわけではないが、私は永遠の犬をいつも求めている。そしてその幻影を私の生活の中の大きな慰安であり光明である。しかし私はゲエテが残し得たフアウストの如き偉大なる傑作によつて自己の幻影を描出し得ることも出来なければ、言葉によつてすらその姿の一端を述べることが出来ない。匂の様に、影の様に、私の永遠の犬は或る時は近くに或る時は遠くにフイと現はれて又消え去るのである。
 永遠の犬、理想の犬、については各人胸の何処かにひそんでいるものであらう。それが或る人には非常に現実的に、或る人にはロマンテイツクに、或る人には合理的に、科学的に割り出されたものですらある場合もあらう。
 斯う前口上を述べさせて頂いて、本題の第六感について愚感を羅列させて頂くことにする。
 さて第六感とは、と開き直られると私は困るのである。この場合第六感についての科学的な説明も出来ないのであつて、単に犬を「感」で見やうとする場合のことを指すものと御諒解願ひたいのである。そのことについては随分私は気になつていた、何か書いて見たいと思ひながらさて書いて見ると思ふことの十分の一も表せないので何度か筆を投げた、しかしこの事は犬の鑑識の前には永久に問題とさるべきことであると信ずるので私の試みがたとへ失敗に終つてもその後を誰かが引き受けて確固たる意見を述べて下さると思ふので敢えて愚感を述べることにする。
 犬を見る時の「感」は特に日本犬には盛に活躍するものである。「この犬は臭いぞ」とか「ぴーんと来るね」とか、時には「うーむ」と単に唸り声で終わったり、眼で見、手で触れて、その後に来るものが第六感である。
 外形外観を見終つて、血を、性格を、探りあてやうとする、ここに日本犬の汲めども尽きぬ妙味がひそんでいるのである。しかしその反面、この「感」の許される限界の広範囲なるが故に犬界を多分に足踏みさせているとも思へるのである。一年位ひで犬通になり、二年位ひで大家になり、各自が得意となつている光景はまさに犬界の偉観である。
 日本民族は直感の天才であるとはよく聞く言葉だがその天才には自称の冠語を着せる方が判りが早いのではないかと思う。趣味の世界である、何だつて許せる叱られる事もなければ罰せられる事もない、年に一回の試験があるわけではなしなまけていて、大言壮語していてもそれで無事平穏である、天下は泰平である、面白いじやないか、ねー君、と言つてしまえばそれまでである。しかし私をして言わしむれば趣味の世界にも厳として最後の一線があり、その一線を越えては犯すべからざる、猥りにすべからざる境界のあることを知らなければならぬと思うのである。
 只管に澄心また澄心、自ら禊祓し精進して犬を見ようと私は敢えて叫びたいのである。
「この犬はチョウの混血だ」、「三河犬の系統だ」と言う。何故だと反問する。舌の黒斑だと答える。 それだけの理由できみはチョウだ三河だと断定するのかと重ねて問う、そんな「感」がするぢやないか、と答える。最後の逃げ場所は、「感」と言う便利な避難場所である。こうした亡霊の如き「感」のためにチョウとなり、三河犬と言う烙印は押されてしまうのである。粗笨なる感よ、呪われてあれ。私はこれを「悪感」と呼ぶ。
 この「悪感」の中にはなお一層極端なものがある。『この犬は紀州の雌に秋田の雄がかかつて出来たものに北海道犬を交配して出来た仔であろう』と、全くここまで念の入った第六感になると聞いている方も愉快である。
 犬の評を求められる時、私は素直にその犬を評することにしている。遠慮も容赦もない、がしかし誤れる第六感だけは極力自戒しやうと努めている。それ が礼儀である。先輩振つて自己の卓見を振り回す必要は絶対にないのである。しかし批判とは褒めることではないのである。犬を見て呉れと言ふ人の大部分は褒めて呉れと言ふ意味であるらしい。ならば最初から褒めて呉れと頼むが良い。
 犬で金を儲けた経験も無ければ今後も儲ける必要のない私にとつては、日本犬に関する限りそのカテゴリーは絶対に神聖である。あくまで神潔なるが故に私は犬の世界を愛するのである。ある犬について私の評を受けて、癪に障った男が、松本は薩張り犬の判らぬ男だと触れて回った由、何故その時面と向かつて私に議論を以つて挑戦しないのか。「悪感」の殻の中にいつまでも迷蒙の夢を貪って居る人は憐れである。
 耳だとか尾だとか、肢だとか、眼に見える限りの事について話をする時、これ位易々たることはないのである。だが、「気迫」と言ふことになると、全く議論は無茶苦茶である。それが、「気品」と言うことになると更に各自勝手な「感」を働かせて百鬼夜行の図である。説明にもこれがこうだからこうである、と数字を示す様にはゆかないし、困つてしまふのである。
 日本犬の観方は実際難しい。
 外来犬は、その点では妙味は乏しいが事が簡単である、原書の四五冊も読めば一かどの卓論も吐けやうし外国人の名をずらりと並べてその意見を紹介出来れば一通りの犬通たり得る。だが日本犬には事実、参考書が乏しい。現代犬の観方に至っては殆どまとまつたものが無い。ああか、こうか、と迷ひ抜き多くの犬を見てその経験の中より一つの見方を生み出す か、先輩の意見を鵜呑みにして見方を立てるか、全く混然として去就に迷うのである。標準書に立てるとしても「悍威に富み」と読んで字の如きものの解読にすら苦しむのである。過渡期の現象としては止むを得ない。最も取り付きよいのは型である。犬の格好魂を除外した形、これは誰にでも理解出来るのである。だがそれより一歩進んだところに大いなる陥穽が待ち受けて居るのである「感」である。第六感である。五感を超越した鋭敏なる第六感を掴み得るまでの努力、その間の苦労を経なければ迷蒙の雲はいつまでも頭上に影を落として居るのである。「一念の中に三千を摂す」宗教は悟道の域をこう解いて居る。
 ではその第六感を掴むにはどうしたら良いのか、私にはそれについて述べる資格がない。「悪感」が犬界を毒することを力説し、会員諸兄に反省を促せば私の現在の役目は達し得たのである。これから後の説明は、単なる私の憶測としてお聞き願いたいのである。
 日本犬の観方に関しては犬を多く見る事、先輩の意見を批判的に聞くこと、それから犬種の生理学的知識を豊富に持つこと、そして最後に私は、日本人としての素養、教養を要求するのである。即ち、日本的なるものに対する涵養である。これの足りない人は絶対に駄目だと私は思っている。日本犬を共に語るに足らぬ人である。
 例えて言えば、「侘び」「寂び」「いぶし」「凝り」等と言う言葉の真意は日本人でなければ理解出来ない。以上の字句に拘るのでなく、その気持が理解出来るか出来ないかの問題である。日本的なるものの気分を良く理解出来ているかいないかである。日本犬の「気品」と言つても実際、簡単な様で簡単ではない。或る人が盛んに犬の気品を論じていた、その説には別に間違った意見であるとも思えなかつたが、最後に、「故に斯の如き犬は気品のある犬である」と示された写真が○○犬であつた、これには私も驚いた。
 気魄についても「寂滅境より紫電一閃すれば、一刀両断、肉を斬るにあらず、空を斬り、無を斬る」、と言う日本剣道の迫力と相通じている。屁っぴり腰のフェンシングの気合では非常な感覚がある。
体型にしても一切の付加的なるもの第二義的なるものを捨離して、「枯れの姿を」あらゆる芸術の中に求め様とした日本人の好みと全く合致しているではないか。
 結城紬や琉球紬の味は日本人でなければ理解出来ないし、日本刀の中に、タングステンとモリブデンの微量を発見して騒いでいる外国人にも刀から来る精神美や魅力を理解し得る人は尠いのである。
 先日「日本犬の素朴」と言うことについて議論して見たが矢張り判る人は尠いのである。日本的なるものに対する素養と言うことが最後の問題となったのである。
 「悪感」を振り回し、悪臭を四散させる前に、我々は日本自体を、再認識しなければならない、武士道も宜し、俳句もよし、古刀もよし、何れを起点としてもよい。しばらく犬を離れて、日本人としての教養を得よと私は絶叫したいのである。基礎の無い第六感は何時でも崩れる。
 又一面こんなことも考えられる。第六感を仮に一匹の未成犬の上に走らせたとする。その将来性と言う問題である。あらゆる知識が潜在的な力となって第六感は的確にその将来を予見することも事実あり得るわけである。だがあり得ない場合もある。「感」の力の頼りなさを承認しなければならぬ場合もある。「感」の力の頼りなさを承認しなければならぬ場合も非常に多いわけである。だが我々はそれについて静かに反省して見た事があるであらうか。「感」の世界は無限であり、奔放自在、あらゆる場合を裁断して行かうとする。一回の「感」二回の「感」が誤ったとて三回の「感」があると信じていはしまいか。私は犬界を誤つものは「感」であると信じて居る。日本犬に関心を持つ科学者は徹底的に日本犬に科学の鋭利なるメスを加えよ現在吾吾に許されたるあまりに広き「感」の活躍範囲を奪取せよ。「感」が総てではない様に科学も亦総てではないことも信じられる。しかし現在では科学の力が混然たる犬界の「悪感」をズバリズバリと快刀乱麻の斬味を以つて寸断し得ることを確信し得るのである。掘り下げよ、掘り下げて行くことのみが吾吾の仕事である。犬の数は憂うことは無用である。「流れを斬れば更に流る」日本犬の生命は流れて止まぬと知れ、幽遠の彼方に永遠の犬は厳として実在している。真理は唯一つである。
十目の見るところ十指の指すところ必ずしも正しきものであるとは思えないのである。科学的な修練を経た直感力の鋭い偉大なる天才によつて、その「永遠の犬」が発表される時が来たならば、その時こそ犬界は鳴りを静める時である。悪感は霧と散じる時である。その瞬間の厳粛さを、歓喜を、私は何時までも待つているつもりである。


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This material issued 7. Oct 1940 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第九巻第十号(昭和十五年十月七日発行)より
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