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This material issued 7. April 1942 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十一巻第三号(昭和十七年四月七日発行)より

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This material issued 28. March 1942 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十一巻第二号(昭和十七年三月二十八日発行)より

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This material issued 31. Jan 1942 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十一巻第一号(昭和十七年一月三十一日発行)より

座談会  『日本犬を遠慮なく語る』  出典:愛犬の友 誠文堂新光社刊

座談会  『日本犬を遠慮なく語る』 
出典:愛犬の友 誠文堂新光社刊
昭和29年1月18日 午後5時 東京・京橋・竹葉亭にて
出席者 斎藤弘吉・松本克郎・馬場良夫・平岩米吉・別府得三・間島謙一・岡村祐一・橋本繁治・長島繁・高根菊明・松浦信夫・輸違網造・設楽長男・小川菊松・伊藤治郎・加藤芝

斎藤 それじゃ私が世話人になったんですから最初ご挨拶申します。こんど松本さんが所用で東京へいらっしゃることがあったものですから、この機会に、日本犬について遠慮のない、ほんとうのことを話してみようじゃないかということで、松本さんに二日ばかりこちらに割愛願ったわけです。ご案内した方の中きょう御出席にならなかった方は大淵真竜さんお一人で、ほかの方は全部お揃いです。松本さんは小型を如何にして起死回生さすべきかという私の依頼でこの会にいらっしゃる前に、甲府と長野県をまわられ、小型をごらんになっていらっしゃいました。先づそえについて感謝の意を表します。きょうはどういうふうに話を進めたらいいか、自分の個人的な考えで申し上げますと、なんといっても日本犬の中心が中型なものですから、それに松本さんの最も専攻されているのも中型ですし、中型の日本犬を話していただきまして、みなさんと一緒に検討し、つぎに大型、それから小型、最後に一般犬界というふうに移っていきたい。こんなふうに漠然と考えております。まず中型の話からはじめましょう。松本さんのカンというものを伺ったらどうでしょうか。
中型犬の問題
松本 私、別にカンという特殊なものはもってないんですが……。私が日本犬に興味を持ちましたのは、だいたいワイルドな味に魅力を感じたんです。ワイルドでありラフであり、そしてなにか清らかな感じ、日本のさらっとした風土にぴったりしたような感じ、野性味、要するに童心ですね。日本的な童心という意味で、惹かれていったわけなんで、その当時斎藤さんが日保をつくられておった。そのずっと前からああいう犬が好きだったんですけれども、都会に住んでいたために手に入らなかったのが、日保の出現によって手がかりがついたわけです。その気持がそのまま続いているものですから、非常に私は野性的な犬が好きなんです。それで四国が近いものですから、四国の犬、特に山出しのものなんかで胸をつかれるようなものが出たのに、いよいよひきずってゆかれたというのが率直な話なんで、畜犬的な常識が別にあるなしでそれを時に研究してどうしようというんでもなく、ほんとうに単純な気持で日本犬にかかっていったわけなんです。
斎藤 いつごろでしたかな。
松本 昭和八年でしたか……日保のことはその前から知っていたんですけれども、安原氏が入っていたから会報なんか見ていたわけです。
斎藤 安原さんのは、「楠」でしたか。
松本 「楠」はずっとあとです。「楠」のよさは、あの時まだはっきりわからなかったんです。関西展に出た時ですね。あれからなんです。その秋、私が岐阜におる時分に斎藤さんのお宅へいって、「楠」の骨の枯れてるというひとことを聴きまして、非常に私は犬の見方が逆転したわけです。中型を見る眼が深刻になってきた。骨の枯れたというのはいわゆる乾燥度ですけれども、日本犬の乾燥度という点においては、「楠」にまさるものはいなかったですね。いまだにいない。あれを日保の種牡にしようとして、斎藤さんが百円なら予算があるという話だったんですが、持主は大角勝太郎氏で、金で困っているから二百円くらいという。それで僕が手に入れようと思うということを安原氏に話したんです。安原氏も「楠」はそんなにいいのかというわけです。僕も骨が枯れたというのがなるほどと思うんで、手に入れようと思うと話したら安原氏がむこうへいってしまった。それで安原氏が「楠」を手に入れたというのが、「楠」が岡山へ入ったいきさつだったですね。
斎藤 「楠」は昭和十年三月、大阪の千里山の第一回関西総支部展の時、忽然として出陳された犬ですね。
松本 生後十ヶ月でしたね。
斎藤 ええ。確か昭和九年三月生まれです。その時、背骨が曲がっていましたよ。内臓が具合わるいものですから。しかしながら、とにかく骨が決して太いんじゃないけれども、実に乾燥したかたい骨で、ほんとうに私は、中型の日本犬として身の軽い理想的な犬だと思って見たんです。実は総支部展のとき私が頑張って大阪府知事賞、第一席にしたんですが、その時里田君が審査員で、「斎藤さん、あんたの犬いい犬というのは、こんな犬ですか」とひやかされたんです。私は「そうですよ。中型としていい犬だと思います。きょうの中で一番ですよ」と自信をもってそう答えたわけです。それが翌年の本部展に出てきまして、文部大臣賞をとっちゃった。
松本 その時の所有者はだれですかね。
斎藤 関西総支部展に出た時は大角勝太郎さんという伊予の人でしたね。それを岡山の安原さんが譲り受けて本部展に出した。本部展に出た時は背骨は大分治って状態はずっとよくなっていました。
松本 やっぱり鯉背は終生少しありましたね。
平岩 本部展は二回目じゃないですか。
松本 第五回目です。
斎藤 とにかくほんとうに文部大臣賞をとりましたね。いわゆる当時における日本犬の総一席です。
松本 それが四国の犬が出現した最初で、しかも一番の大ものが出たわけです。
斎藤 四国の犬というのは、紀州とともに中型日本犬のメッカみたいにいわれますけれども、四国の犬が世のなかにでたのは、紀州、北海道などに比べてずっとあとなんです。だれもわからなかった。私は以前明治三十何年かに伊予松山で開かれた狩猟者大会の記念写真を手に入れたんですが、それに約十頭の犬が一緒に写っている。そのなかに耳の下ったやつが一匹もいない。みんな耳が立っているんです。それで高知県の伊予境のほうには必ずそういう犬が残っているだろうと見当をつけた。しかしながら自分で山にいけませんし、犬が出なかったんです。そのうちに横山助成さんが神奈川県知事の時、私に支那料理を食べにこいという手紙がきたものですから、自動車一台に友達を満載して、斎藤悦太郎さんとか北村さんとか。
平岩 私はあの時用があってゆかれなかった。
斎藤 その時横山さんが、この犬どうだといって中型の犬を見せた。尺七寸くらいだったと思います。割合に背の高い犬でした。「これは高知県の知事が友人なんで、高知県には土佐犬がいる。あの喧嘩する土佐犬でなく、もっとオリジンの土佐犬がいるに違いないから探して欲しいと話したらこの犬をもらった。高知県の山のなかでは猪狩りで一番の名犬の子供だというてよこした」と云うんです。その時はちょうど私達が飼育訓練場をつくった年なんです。それで私は御馳走になりながら「横山さん、訓練場をつくったから、ひとつ百円ぐらい寄付しませんか」「よろしい、寄付しましょう」それから私は「これはいい犬だ訓練場にくれませんか」といったんです。そうしたら「君、御馳走になって金をせびった、その上また犬ももらってゆくのか」というものですから、「それじゃ遠慮しましょう」しかし訓練すると、中型でも身が軽いんで面白いだろうと思ったんですがね。「そう持ってゆくものじゃない」というので、私もせびらずに帰ったんですが、一週間ばかりして横山さんから電話がかかってきまして、「君達がきたせいか、あの犬がテンパーになっちゃった(笑)死にかけている。届けるから生かしてくれ」というわけです。そして横浜から知事さんの書生さんが自動車にのせてもってきた。それを私のうちで一生懸命丹精して助けたんです。それから手紙をやりまして、「死んだと思ったものが助かったんだから下さい」そしたら君にはかなわんといって、私にくれました。(笑)それがいよいよ訓練しようと思っているうちに、また病気になって死にましたが、それが高知県の犬が世のなかに現われた最初です。それから二、三年経ってさっきの、「楠」が忽然として、関西総支部展に出た。それがバリバリしたゴマ毛の、形の良い軽そうな眼も表情も実にしっかりした犬でしたが、それが翌年本部展に出て最高賞をとったわけです。そして高知県の犬の熱をあおった一つのもとだったと思いますね。
松本 そうですね。毛質のバリバリしたそして眼に異様な光りをもった……。
斎藤 松本さんみたいにね。やせていて眼がカッとしているんです。(笑)
間島 「楠」の話が出ましたが、私のところでちょうど長昭が生まれた時です。(昭和十五年十一月)山田宙平さんが本部展で上京された時に、伊豆の吉本謙三君が長昭の同胎のメスを譲受することに私の竜髭荘で、漸く約束が成立したんですが、その時吉本君が昔学生時代いまの「楠」を買うように大角さんに交渉した。ところがその時分吉本君はまだ学生時代だったんで、二百円はとうとうできなくて、まごまごしているうちに岡山へいったんだといって、えらい残念がっておりました。
斎藤 あのあとでしょうか。高島義則さんが高知県で……。
松本 その当時すでに高島義則さんは、あのへんの古老としてはじめていたらしいんです。けれども中央とのつながりはなかった。
斎藤 いや、私とはあったんです。高島義則さんは「土佐日本犬愛護会」でしたかそういう名前の会をつくって、高知の犬を調査したり、手に入れたりしたんですが、高島さんが手に入れた犬は、あまりいい犬はいなかったですね。
松本 なかったようです。
斎藤 それは高知の犬の初期で、その後にだんだん日保の支部ができ、実権が高島さんからほかの人に移って行った。それから岡崎真積さんあたりが名犬を掘り出し、それが高知の犬の濫觴になったんですね。
松本 それから佐川町の近藤さんという人、この人はお医者さんですが変人なんです。あのへんからゴマが渡ってきて、それから長春が出て、みな佐川を通過しておりますね。
平岩 高島さんは、犬ばかりでなく、ほかの伝統なんかもお調べになったんですね。
斎藤 そういうことが好きなんです。
平岩 いま健在ですか。
松本 いや、もう亡くなっております。
斎藤 高島さんとほかの人と、どうもうまくゆかなくてね。
松本 あの人は土佐犬の吠え声なんかについて書いたりしましたね。えらい人です。
斎藤 吠え声で土佐の闘犬か地犬か、すぐわかりますからね。おもてを歩いていても、これは闘犬だ、これは地犬だということがわかる。
松本 私は高島さんのやり方を遵守したわけではないですが、犬の声に耳を澄ますんです。やっぱり土佐の純血度の高いやつと低いやつは、声が違いますね。多少雑犬のかかったやつはボヤッとしています。それから甘えるような、ねだるような声のやつは駄目ですね。このごろの四国の犬を見たってそうです。ベタベタした声を出しますが、これはやっぱりどうかしているんですね。
斎藤 鋭い力のある声の犬は、現在の中型に少ないかも知れませんね。
松本 声の標準が違いますね。
松浦 「楠」は実猟に使った犬なんですか。
松本 「楠」の出たのは土佐の分水領の本川村、一歩間違えば愛媛になるところで平家の残党が住みついたと言われているんですが、私もしょっちゅういったんですがね。そこが一番山奥でもあるし、外来犬が入ってきたら殺しちまうんです。一歩も入れなかった。いわゆる鎖国的だったもんですね。それはやっぱりそれはやっぱり猟に使う関係で、雑種化することを恐れた、必要上やったことです。だから昭和の時代に残ったわけですが、大角さんはそこの先生をしていて、日本犬が好きだったのです。伝太郎というじいさん、私も会いましたが七十いくつでいま健在です。このじいさんからそこでできた犬を大角さんがもらって、郷里の愛媛に帰った。それが十ヶ月になってはじめて関西支部展に出てきた。本川の犬で最初に世のなかに出たのは、この「楠」だったわけです。
松浦 実猟に使ったかどうかは、わかりませんか。
松本 実猟に使っていた犬の子供なんです。
斎藤 未成犬ででたんですから……。
松浦 その時分、日本犬に興味をもって飼った方は、だいたい目的は狩猟ですか。
松本 大角さんは狩猟はやっていたんでしょうね。しかも犬の好きな人ですから、「楠」のほかに、日本犬ばかり十頭くらい飼っていたでしょう。本川は不用の犬は置かないんですから、みな実猟に使った犬です。私が戦後手に入れたのは、伝太郎じいさんの隣の家の犬で、これは「ジャック(寂)」という白い犬ですが、その本川もいろんな犬が入ってきて、殊に戦後あすこでダムの工事をやっているために朝鮮人が犬をどんどん殺して食ってしまった。だから犬がうんと減っておったのと、ダムの関係でいろんな人間が犬を連れて入ったために、かなり雑種化しておりましたがね。いまじゃ本川はほとんどいなくなりました。しかし、まあ仕方がない、ここまできたんだからといって連れて帰った。あまり気に染まない犬でも、かけますとやっぱりいいのが出来ますね、スパッとしたいやみのないやつが……。だからあすこいらの犬は、多少雑種化していても、血液更新には非常に役に立つんです。犬屋やなにかとってくれというんですが、売るのに困る。使ったらいいんですけれども、引き合わないというんです。それから楠が岡山へ入ったというのは、非常に私、勉強になったんです。あれを絶えず眺めていた。その印象が非常に強くあって、それが私の犬を見るブリンシプルになったんじゃないかと思うんです。その意味において、斎藤さんが私の大先生ということになるわけなんです。
松浦 その「楠」には、不純なものが入った形跡はないんですか。
松本 「楠」には、雑種のかかったメスをかけましても、非常にいいものができるんです。
松浦 いや、「楠」自身の血液は……。
松本 「楠」自身の血液に、不純なものを感じる余地はみじんもなかったです。一見すると少し体躯に比して脚が細すぎるという部分的な欠点ですね、いわゆる常識的な欠点はありましたがね。しかし、そんなものは消しとんでしまうんです。あの「楠」の烈しさというか、すさまじさというか、そういう内にこもる力ですね、あれが日本犬の一番いいところじゃないかと思うんです。いまごろの展覧会にそういう犬が出現しないのは、戦時中私の犬で「楠」系統の犬は全部野犬になってしまったんです。供出するのが可哀そうで、小豆島へわざわざ捨てにゆきましてね。最後まで残っていたそうですけれども。
別府 その時分の経路の白いものはどうなんですか。いま中型の白いのはいいんですが。
松本 やっぱり本川へいきましても、白が多いんですね。高知の人はあまり白を好かないんです。そのために白を飼わない。それで自然に減ったわけです。しかし阿波へゆくとほとんど白ですね。
斎藤 阿波は昔から白です。
松本 阿波の犬と紀州犬は、やっぱり共通しているんです。なんとなくやわらかみがある。ダラッとしたところがあるんです。これは高知の本川あたりへゆきますと犬が、乾燥してきびしい。阿波のはなんとなくやわらかい感じがします。
斎藤 ボテッとしておりますね……。
別府さん覚えておりませんか。飼育訓練場ができた時、金子明史さんから寄贈された白い犬がいたでしょう。あれが阿波の犬ですよ。阿波から高知の境へ参りますと、祖谷という非常な渓谷があるんです。深い山なんですが、そこに多少残っていたんです。それが大阪へ出ましたけれども、あまりいい犬がいない。松本さんがいったように、少しボテッとしてやわらかい。高知の本川のようにカリっとしたところがないんです。
別府 その時分ごらんになってどうなんですか。紀州の犬と高知の犬と……。
松本 高知といいましても、いまいいました本川系と幡多系で、犬の毛色が違うんです。幡多郡の代表は「ゴマ」でボテッとしている。それは池田君あたりが玉錦みたいな犬といったように、あんなのができた。要するに闘犬型のような土佐犬ですね。ああいうふうな多少ゆるみのある、そして骨も太目に見え、動作も俊敏というより応揚なほうです。それはすきずきなんですが日本犬としてどっちがどうかということになると、私はそれは両立していいと思うんです。しかし私は、あくまでも「楠」「長春」のような本川系が、やはり野性味がある。見てくれはどっちかというと野性味が非常に勝って、いわゆるお座敷犬という感じからは遠いんですけれども、そのほうが私は好きなものですから、それ一本でいまだにふっとんでゆこうとしているんですがね。
斎藤 その「ゴマ」ですね、文部大臣賞で名声を博して、以来ずっとゴマ毛が賞に入りましたが、あの「ゴマ」を見ると本川系の「楠」のようなものと、何か本質的に違っているように見えますね。「楠」のほうが、はるかに山で使い得る犬なんですよ。「ゴマ」なんかは都会で飼っていて、いかにも中型として堂々として、貫禄があるし重さもあるし、整ってもいて立派に見える。しかし言葉がよくわからないんですが、私がいったような「枯れた」という感じですね。それで見るとカラッとした枯れた鋭さというものは、「楠」のほうがずっと上ですよ。
松本 どっちがいいわるいというより、二つあるんでしょうね。シェパードでもそういうのがあるそうですがね。
長島 阿波の犬の話が出ましたけれどもやわらかみの点で相当紀州ににている。
松本 実際皮膚をつかみますと−−私は犬をみる時はつかんでみるんですが、つかんで引っぱり上げるんです。そうすると阿波の犬はぐっと上がってくる。やわらかいんです。そして厚みもありますし、脂肪の沈着しやすい体質ともいえるでしょう。離すと戻るのが遅いような感じです。本川の犬はキュッとやると弾き返してすぐ戻ってしまうような、弾力性に富んでおります。
斎藤 それから頭の骨ですね。阿波などの犬は鉢が開いていて、前額にミゾができております。
長島 毛色の白いというのは、なにかやわらかみを感じるような感覚を起すんでしょうね。
斎藤 阿波系と本川系の犬とは犬そのものの構えが違います。
松本 阿波は口吻なんかは太いですね。
長島 紀州とその点はにているわけですね。
斎藤 紀州の白というのは戦後なんですよ。戦前われわれが第一回紀州展に審査に行った時、白はそう多いものじゃなかったんです。私らは「ゴマ」を推賞したんです。良助はゴマですね。私は推賞したその後東京へきた岡本勇五さんという家で死にましたが「ヌタイチ」、それはきれいなシルバーグレーの犬で、大変美しい犬でした。都会では中型の「ゴマ」がほとんど賞品をとりました。一ぺん立尾の白犬が、文部大臣賞をとったことがありましたね。
松本 あれは幡多系の「テツ」です。
斎藤 いや、東京支部展での三原千尋氏の犬です。
松本 第二回展の時の白でしょう。
高根 蹴爪のある犬ですね。
斎藤 白はあの犬一匹くらいで、あとはみんなゴマが入っていた。それで都会にはほとんどゴマが出て、白が山に残っちゃった。戦争で都会の犬は全滅したでしょう。戦後紀州の犬を出すといったら、山にはほとんどゴマが残っていない。殊に新宮から熊野川の上流には、白で寸の高いのがおったんです。私が第一回の紀州犬の展覧会をすまして次の日、招待されて瀞八丁を上っていった。その当時、山の漁師が展覧会に犬を出して、その帰り、プロペラ船に犬をのせて帰って行くのを見たんですが、それに白が多かった。ゴマが都会に出て戦争で全滅し、戦後に紀州の犬を出す時、白が出てきたわけんです。私はそのことを岩本英二郎さんに問合せたんですが、やはり同意見でした。現在ほど昔は白は多くありません。
長島 日高もそうなんですか。
斎藤 日高のほうもそうです。紀州で一番最初に写真を見たのは、昭和二年ぐらいに渡瀬庄三郎博士が三重県の技師に頼んで撮った写真です。それはたしか白でした。それから昭和三年に各新聞にニュースを出して問合せた時に、紀州の藤田邦一郎さんのおじさんで佐藤保太郎という人がいた。紀州の古い狩猟家で、当時七十くらいでしたが、その人が一尺九寸の白犬で非常に喧嘩が強いのがいるというので、飼主から写真を送ってもらったことがあるんです。これは田辺の街の酒屋さんの犬で、日高の系統なんです。昭和三年に私が日本犬保存会からとして出した第一回犬籍簿に載っておりますよ。それからその前後の項ですが古い犬で「鳴滝イチ」という耳の小さいゴマ毛の有名な猪犬が紀州におりましたが、当時の金で千円とかで大阪の狩猟家に売れましたね。横顔の写真があるでしょう。その後の猪の名犬というのが「ブチ鉄」です。三重県木本町の仲孫三郎さんのところにいた。あれは顔が太いんです。あの二犬は何れも猪の寝屋止めの名犬と云われました。
平岩 耳が大きいですね。
斎藤 日本犬としては前のゴマ毛の「鳴滝イチ」の方がいいんです。それは昭和二年くらいのものでしょうね。その当時物価の安い時で、おそらく千円ぐらいの値段で大阪に売れたので私はびっくりしたんですが、それは一犬一主の単独猟の寝屋打ちで二ヵ年の猟期間で千円の猪をらくにとるというんです。ですから昔の犬の値段は猪をいくらとるかで評価されたんです。
松本 「ブチ鉄」が百六十八頭とったということでしたね。
斎藤 やっぱりそれに対するコストなんです。ふつうは猟師五、六人で犬を五、六頭使わなければならないのが、その犬は一人の猟師に単独でとらせるので獲物を仲間で分け合わなくていいんです。何十頭ととるんですから。計算すると高くなってしまう。それが値段なんです。獲物の計算のできない仔犬というのは、その当時はタダだったんです……。もってくるブローカーの手数料と運賃だけで、あとはタダです。だから成犬の猪猟の実績のある紀州の犬は高いんです。かせぐ率ですから……。
別府 その時分体高はいくらですか。
斎藤 田辺町の白は尺九寸、その後名犬といわれた里田さんのもってきたのは尺九寸二分、「アカイチ」ですね。当時私が中型の最高を尺八寸五分くらいにスタンダードを決めるといったら里田さんがカンカンになって怒った。ああいういい犬が手に入ったんで、それを本部展にもってきて、文部大臣賞をとるんだといって尺八寸五分のスタンダードは駄目だというわけです。私はあの犬や山猟に使うところを度々見ましたけれども、甲府あたりから猟師と犬がきてはじめて犬同士が会って協同作業するのですが、あの犬にはどんな犬もみんな頭下げて服従してました。良い貫禄の犬でした。
松本 私は四国の犬では、「楠」「長春」が勉強の糧になったんですが、紀州系では「イチ」ですね。「イチ」で非常な希望をもったんです。大きな日本犬の可能性がある。それでその計画でやったんですけれども、戦争でめちゃくちゃになってしまいました。
松浦 一尺九寸何分あって、軽快さはどうですか。
松本 ありましたよ、「イチ」は。堂々たるものでした。それは実際、現在の大型の二尺二、三寸のがそばへいっても……。
斎藤 問題になりませんよ。気魄が。
松本 気魄というか、あたりをはらうんですね。
松浦 しかし全般的に見まして、たとえば北海道の犬やなにか、日本全土にまたがっておりますね。中型を見まして一尺九寸何分というのは、やはり中型としては最高の寸法だったんですか。
斎藤 そんなものでしょうね。宮本彰一郎君の出したマタギ犬「耶摩」が尺九寸です。
松本 本川へいきますと、だいたいオスが尺五、六寸くらいです。それらの系統をわれわれのところへ連れて帰って、食餌のいいものを与えますと、尺七寸以上になるんです。一寸五分は確実に食餌で変えられるわけです。ところが日本犬界の人達は割合に日本犬は粗食でいいんだという、非常に粗放な考え方をしている。私は本格的な飼い方をした場合、さらに一寸ぐらいは大きくなることは、当り前だと思うんです。それを何代か重ねれば尺九寸は不可能じゃないと思います。
松浦 しかし現在の中型を見ますと、一尺九寸程度の中型は、ほとんど大型かなにか入っているようですね。
松本 混ぜて大きくするのはすぐ大きくなりますけれども、質のいいものを……。
松浦 いや、昔一尺九寸で中型のよさをもっていたという犬はほとんどいまいないんじゃないですか。
斎藤 現在いませんね。
松本 現在使う方がいないくらいだから。
松浦 結局悪くなっているということになりますね。
松本 いい系統をたやしましたからね。戦争で。だから体高とか、いわゆるスタイルの日保型というのはいま出ているんですが、そんなことに捉われて、なるほどきれいだけれど、ああいう味の犬というほうに、重点をもっとおくべきじゃないかと思うんですがね。
松浦 しかしその当時は、中型というのはあくまで狩猟と結びついて考えなければある程度進展しなかったわけですね。結局中型と狩猟というものは、切離すことができなかった。ところが現在中型を飼っている方は、実際に狩猟に使おうという目的でなくて、ほとんど目的は家庭番犬ということになっている。そういうところに日本犬の中型のよさが、変ってきているんじゃないでしょうか。
松本 私は、いわゆる山の犬を里で飼ったために、野性味のあったものが可愛らしくなったという意見の審査員もあるんですけど、それは違うと思うんです。
斎藤 違いますね。
松浦 その犬一代では、そういうことはおそらくないと思うんですが……。
松本 その間にあやまちをおかしている。
斎藤 それから日本犬の中型を飼っている人の大部分が、家庭番犬としているということですが、それは展覧会を相手にする人の範囲内のことで、飼っている率からいえば、山で猟のため飼っている人のほうがはるかに多いんです。
松浦 現在もそうですか。
斎藤 現在もそうと思います。紀州なんかそうです。畜犬団体の会員になって、展覧会に出品する人のなかでの割合は、あなたのいう通りですけれども、中型を飼っている人の全体でいえば、違うと思いますね。それから宮本彰一郎君のマタギ犬「耶麻」は、吉田亀竜さんのところへきましてね。あれは尺九寸くらいでした。身の軽い犬で雪の時、塀を飛び越している写真を、宮本君が得意で送ってくれたことがありますが、その通り身が軽いんです。
長島 味とか、そういうものは別として体高は日保の標準に向って固定したということはいえるわけですね。
斎藤 そうなんです。功罪相半ばするかも知れませんが、昔は大型から小型まで体高がずっと続いていたんですよ。どこからどこまで中型という名前が冠されるかどうかですね。紀州あたりで一番小さいというのは、尺五寸前後じゃないですか。
長島 中型の最大と最小では四寸ぐらい幅があったわけですね。
松浦 その時分は、小型というのは分かれていたんですか。現在の小型の一尺二寸ぐらいまでのものは、なかったんですか。
斎藤 昭和三年に私が入った上州の十国峠の下で入手した「十国号」やずっとあとで島根で発見した中村鶴吉さんのエン・ペー・カー系統、あれは大体小型系統ですが一尺三、四寸位でしょうか。
松浦 保存会ができる前は、結局小さいものも大きいものも、一緒くたに日本犬という呼称で呼んでいたんですか。
斎藤 地犬といっておりましたね。よほど好きな人でなければ和犬なんていいません。みな地犬です。体高は大、中、小型の途中のギャップがないんです。大型から尺二寸五分くらいまでずっと続いていた。ただ群馬県多野郡の神流川上流とか、あるいは信州の一部とか、島根県の一部とか、そういうところは中型が少くて、ほとんど小型だった。但しエン・ペー・カーの系統で「栃」ですが、あれは一尺六寸強もありましたか中型でした。
橋本 六寸くらいありました。
斎藤 いまの小型は、昔と全然違うんです。戦後のはまるでテリヤみたいですね。
松本 私もエン・ペー・カーの犬を飼っておりましたが、違っておりましたね。
伊藤 小型はどのくらいあったんですか。
斎藤 一尺四寸五分まででしょうね。
伊藤 小型では北海道の日高から出た小松さんの「ゼマ」ですか。非常におとなしい可愛い犬でしたね。私が日本犬を飼ったなかで、日本犬らしいなと思ったのは小型では「十国」、大型じゃ初代「出羽」、それくらいしかいませんね。いまの大型と全然ものが違いますよ。
別府 初代「出羽」は、赤いやつですか。
斎藤 あなたがいらした時は、皮膚病で死にかけておりましたけれども……。胴から太い頭がぬけ出たような犬でした。中型ではほんとうの深い味わいのある犬が復活する可能性はあると、私は思うんですがね。
松本 あります。まだ材料がありますよ。わずかですけどね。ただ、中型が一番数が多い。そして有利なわけなんですね。ところが一番困ったことは、三河というやつが非常に繁殖力をもっていて、中型のなかに割込んでしまったんです。私、長野から甲府のほうをずっと昨日までまわって帰ってきたんですが、だいたい三河が入っていることに気付いてないんですね。それらがいい加減な賞をとっている。そうすると系統はそのまま温存されるという状態ですね。私は三河には神経質ですから、ちょっと入っていても、プーンとうやなにおいがしてしかたがない。非常にむごいこというんですけれど、よほどむごいことをいって憎まれないと、あれが一掃できないように思うんで、もういやになっているんですがね。自分は自分で、小さなグループでもつくってやればいい……。はっきりした三河を引っ張ってきて日本犬とかけ合わしてその過程を見ればよくわかるんじゃないかと思うんです。どうも三河の血がかなり入っておりますね。
斎藤 三河の研究は、松本さんが第一人者だと思うんですが、非常に歴史は古いんですね。いまほんとのことを話しますけれども、日本犬保存会の初期にいい賞に、三河が入っているんです。私は知らないでいたんですが。
松本 斎藤さんの時代だったら、何回かの文部大臣賞の「富士」という牝が、純然たる三河なんです。あれは絶対に三河なんです。
斎藤 あれは第四回本部展ですね。三重の秋本さんの牝犬です。その当時すでに大分問題になりましたね。中型牝部の審査は、里田、京野の二君でした。私は寺岡君と牡部の審査でした。それよりずっと前、昭和六年四月の動物園の二十周年記念の時、私が主催しまして、各犬種展等一週間しましたがそのとき日本犬が七、八頭出た。来臨の久邇宮様に説明したことがありましたが、あの時の小型の「タコ」、これは中島基熊さんの犬で、富山県から出た混りけのない犬ですが、もう一つの柴田さんが出した「市」という犬はいけませんでしたね。その当時浜松から出た犬で「アカ」、満谷国四郎さんがもっていた犬。いい犬でしたけれども、いま写真を見るとどうもやはり混ってていけません。但し当時は耳さえ立っていれば日本犬といった極く数の少ない時代でした。それからしばらくとだえましてから、岡崎の人で加藤富太郎といいましたかね、三河犬をさかんに宣伝した人、たしかあの一味の人と思いますが突然写真を私にくれたんです。この犬はどう思いますかというんですが、どう見ても日本犬じゃないんですね。そういってやるとまた一年くらいして写真をくれた。今度の犬はだいぶいいんですがどうもおかしいといって返した。三べん目、こえはほとんど写真で見ては、小型日本犬としか見えない。これは写真で非常によく見えますねといって返したんです。ところがとたんにあの宣伝をされちゃった。私がどうも写真でテストされたらしいんですね。斎藤がごまかせるくらいだから大丈夫だといって、パッとやられちゃったんです。いま考えてみると、すでにその五年くらい前に出てふえているのにそれまではあまり宣伝しなかったんです。然しあの「富」という犬は物すごい化け物でしたね。
松本 これは毛色がチョコレート色ですね。
斎藤 (日保会報第一巻一号の写真を示す)これは満谷さんが犬二匹にが庭に遊んでいる有名な絵を画かれて、席展に出されたモデルの犬です。上の写真は南次郎さんが飼っていたものです。北海道旭川のアイヌの犬、それからこれは岐阜県の篠田一さんが、昭和二、三年時分に中央畜犬にもってきた犬で、岐阜きっての名犬だったんです。私は一目見て驚いて写真を撮ったのです。
松本 私はいまだこの犬に感謝しております。
斎藤 これは三峰に尺九寸のものがあったんです。御参考までに回します。これはたしか動物園展の時の平島君の撮影ですが、先程申しました豊橋柴田さんの「市」です。三河の犬みたいに頬のふくらんだ、耳の小さい犬です。これは品位がなく、いけませんね。これは満谷さんの犬で、ストップがほとんどなく、堅に筋があってスッと伸びている。なにしろ耳さえ立っていれば非常に貴重な時分ですから(笑)こういう写真も載せたんですね。畜犬商にまんまとテストされましてね、名古屋コーチンのグループなんですが、日本で卵を多くとる鶏の固定に成功したものですから、日本犬が山のなかから出ないというんで、つくったものなんです。それで私をテストしたものなんですね。
松本 私はその当時日保が日本犬の標準ばかりでなく、解説をもっと具体的に示しておれば、もう少し良くなっていたんじゃないかと思うんですが、三河で相当濁ってしまったんです。かなりいいもので安心しきって見られるという犬が、今ではほとんどいなくなった。
斎藤 標準は私がつくったようなものですが、こまかにつくれなかった。ボヤッとしたもので、だいたいどんな犬にでも通用できるようにつくったのが標準です。そうでなければ、犬がほとんどなくなってしまう。それで当時現在の資料犬をなくさないようにというのでつくったのが標準で、あの標準にはたいがいの犬が入ってしまいます。これじゃわかりにくいというので、私が独断で書いたんですよ、標準解説というものを。私が責任をもって全部書いたんです。その時分は三河犬というものが世のなかを現在のように占めるということに、だれも気がついていなかった。もし私が気がついていれば、もっと三河の犬に関して警戒を書いたと思いますが、当時は気がついていなかったんです。又大して世に出てもいなかったのです。
松本 斎藤さんが日保を創立して、儲けたのは三河の犬屋が儲けたというわけですね(笑)だからこれからの中型の場合は洋犬がはいると思わないですけれども、三河をどれだけ排除してゆくかということでしょうね。これだけに相当の仕事があると思います。
斎藤 もう一つは紀州の犬ですね。「楠」なんか別として、高知は割合にゴマの系統にしても素人好きのする体の整った、中型として重さも威容もある、だれでも好きそうな犬が出ました。しかしながらほんとうのものが欠けておりますよ、ほんとうの精神が……。ところが紀州ですね、紀州はいろんな系統があって、タイプがいろんなふうに違っているんです。高知みたいに二つくらいの系統じゃないんですね。そして大きさも違う。だから紀州の犬のなかでどれをピックアップして、松本さんが指導して高知の犬と並べて、ほんとうの中型の精神を盛ったものをつくり上げるか、これは宿題だと思いますな。
松本 ところが紀州は三河のとなりでしょう。だから紀州の犬は地理的に三河が入っておるように思いますね。無批判に立耳がいいんだからかけろという調子で、白が生まれたりすると、三河の雑種であってもわからなくなる位ですから、審査するときその点で悩むんです。紀州は地理的に損な立場です。
斎藤 そうなりますね。それから私はよく知りませんけれども、紀州の猟犬とか鹿猟、猪猟に関していろんなものを書いたというのは、明治三十二年くらいからですね。その時分「猟友」という雑誌があって、それにさっきいった佐藤保太郎という人や愛鉄猟史とか三山猟史とか云うペンネームで狩猟のことをかいた人々が居ますね。その時分は追い啼きをする犬がいいか、追い啼きをしない犬がいいかというのが、議論の的だった。追い啼きしないで、佐藤保太郎さんの「イチ」とか、仲孫三郎さんの「鉄」というふうに、猪を寝屋で漁師に射たせる。そんな猟法より、現在のように何人かの漁師で五頭六頭の犬で追ってゆくとどうしても追い啼きしなければならない。そこに猟法の違いがあって三河が入ったのは追い啼きして具合がいいということで出てくるんじゃないかと思うんです。
小川 三河が入ったものは追い啼きして具合がいいなどとは飛んでもない考え違いで、猪猟を知らない人の言葉です。追い啼きをするのは犬の習性であって、どの犬でもやりますよ。無論よく追い啼きするもの、また、そうしないものとありますがね。寝屋止めに際しても発見すると「ワンワンワン」と先ず凄い声を出して主人に知らせて、そこで撃ち止めさせようと吠えながら、猪にからんで退路を進んでくるのです。もし逃げ出したらそれを追い啼きして主人にその方向を知らせるというんですから、三河が入った云々は誤りで、それは紀州犬んも習性と御了解願いたいものですね。
松本 本川系のワンマン、ワンドッグ、つまり一銃一犬をいまだにやっている猟師がおります。それから徳島にもおりますがだいぶ減ったですね。追い啼きをかけるのは、大ものはとれないです。一銃一犬の猟師たちは、猟に出ると一週間くらい山をうろついて、犬と一緒に雪のなかに寝るそうですね。寝れるんだそうです。あったかくて。
斎藤 ほんとの大ものを一人で射つという猟師がなくなって、五人六人で連合して片っ方から勢子をかけていき猟師は待場でまっているという猟法になっていくと、追い啼きをするほうがいいから、現在ではその方がいいんでしょうね。
小川 そうです。専門猟師以外は寝屋止めはしないんですから、我々アマチュアは追啼しない犬は、先づ必要ありませんね。
岡村 甘い犬だったら、猪は逃げしてしまいます。とにかく昔のような気魄のあるやつなら、一頭だけで押えますからね。そして動かさないですよ。
斎藤 猪が逃げる隙を与えないわけですね。
岡村 猪は人間のほうは見る余裕がない。犬のほうばかり見ているんですが、両方対峙して三十分くらいで外してしまうか、二時間で抑えるか、二時間の間気魄だけで向かい合っている。ですから猟師は一人で悠々とやることが出来るのです。
斎藤 どうしたって犬のほうが早くて猟師は遅れていきますから、それまで逃さないでおさえてなければならないわけですね。
岡村 そういう犬はいないと思ったんですが、お話ではいるというのでうれしいですな。
小川 この一月に紀州に猪打ちに行って来ましたが、犬は六頭おりまして、猪は二頭獲りましたが、なかには啼かないのがいましたが、やっぱり啼いたほうがいいと思いましたね。犬は追い啼きしないと頼りないですね。これらのうちで、十四、五貫の猪を噛殺すというのがありました。
斎藤 そこが日本犬中型の頼みの綱なんです。展覧会をのけて日本犬という立場では……。
小川 実際問題としては、中型も猪なり熊なりをとるということが、一番の生命じゃないですか。あとは番犬ですね。とにかく彼等の生命は山の中で猪をとるために飼っているんでしょう。
斎藤 鹿とか、ほかのものでもとりますがね。北海道の熊狩り犬なんかもおりますが、少いですから、数からいうとやっぱり猪犬ですね。
小川 全国的に見まして、そういう獣猟犬として飼っている人と、番犬とか愛玩犬として飼っている人とでは、愛玩犬のほうが多いでしょうね。
斎藤 中型はそうじゃないでしょう。猟師のほうが多いでしょうね。
松本 猟師はわりに無造作で、使えさえすればいいというふうないき方をしますから、結局われわれが猟師に、こういうものがいいんだということを教えて、そして使わせるということが必要じゃないかと思うんです。猟師は保存会とか、いわゆる日本犬の文化団体との連絡というものがないから、それを教えてやればいいものがしっかり山に残るでしょうね。
斎藤 私は中型の犬は、やっぱり数からいっても体系からいっても、紀州のいいものと高知県のいいものが中心になって、山で猟と密接な関係をもっていかなくちゃ駄目になろう、小型の二の舞を踏むものだろうと見ております。
松本 私はこういうことを考えているんです。本川から犬が出てしまったということは、本川の人達が犬に対する認識が足りないために、わずかの金でとられてしまった。これを復活して、もう一ぺん山に戻してやる。そして猟師に犬のことを教えてやる。使えてしかも子孫ができるから大事に使う。その代りたまに一匹もらいにくるぞというようなことをやれば面白いんじゃないかと思うんですけれどもね。
小川 それもよいことですね。
大型犬の問題
斎藤 じゃこのへんで大型のほうに移りましょう。松本さんは私のところにしょっちゅう手紙をよこして、あれは非日本犬だ、よさが一つもない、みんな雑種じゃないかというんですが、それは日本犬ということの考え方だと思うんです。秋田犬というのは、いわゆる新日本犬であって、日本人がつくった犬だ、はっきり言えば土佐の闘犬と同じように、日本人がつくった犬であって、古来何百年前から残った犬とは毛頭考えない。殊に最近のものは、おそらく戦後の犬じゃないか、戦前の血が何十パーセント入っているか、あるいは本来の日本犬の血は何十パーセントでなく、何パーセントじゃないか、こう考えているんです。それは決して悪いことじゃないんですね。家畜というものはしょっちゅう人間がつくっていくものですから、いいものをつくればいいのであって、古い血液があるとか、何千年の歴史があるからといっていいわけじゃないから、私はかまわないと思うんです。実は土曜日に東大人類学会の例会がありまして。、会長の長谷部言人博士と会ったら、「秋田犬というものはシベリヤの系統の犬であって、日本犬じゃないですね」というんです。私は「そうじゃないですよ」と云うと「どう違うんだ」というから「シベリヤ系統の犬と固定したものじゃない、それも入っているし、たとえば私達考えますと、今の秋田犬にはシェパードも入っておりますし、グレートデンも入っている。ほかのものもあるかも知れませんが、そういうものがミックスしたのが秋田犬だと思いますよ」といったら、それは学術上問題にならない。自分はシベリヤの犬だと思っておったといっておりましたが、私は正直そう思うんです。昭和二年秋田犬の歴史を泉詩茂家さんと話し合った時、秋田犬の歴史をどこまでもってゆくか、泉さんは「安倍貞任と宗任というのがあったから、あすこいらあたりが飼っていたということにしたらどうでしょう」というんです。それを泉さんが主宰していた北鹿新聞というのに書きましたが、安倍の貞任までもってゆきたいけれども、はっきりわからないから、せめて佐竹が大館に分家して城を築いたのが慶長時代だから、そのころに犬の喧嘩をさせて、それがだんだん大きい犬になったということにしよう……。あてずっぽうに書いたものなんです。それが大館の人は、ほんとうに慶長年間から秋田犬があると思っているんですね。慶長年間の秋田犬の記録は一つもないんです。犬が喧嘩したということもなければ、犬を飼ったという記録もない。佐竹が秋田に封ぜられ、分家が大館に城を築いたのが慶長である。侍がおったに違いない。侍が居れば若侍が犬を喧嘩させたに違いない。そうすればその子孫は秋田犬だろうという、全部仮定に基づくものなんです。大館の犬の喧嘩の歴史はわからない。おそらく古くても幕末のごく最近だと思うんです。侍が夜、覆面して河原で喧嘩させたというんですからおそらく幕末でしょう。幕末でなければ、いままでそんな伝えが残るはずがないんです。この話さえ証拠は何一つないんです。若し喧嘩させたとすれば恐らくその時分はマタギ系統の犬でしょう。お互いに喧嘩させる。明治維新以後になってからは、村と村との犬の喧嘩が始まった。村の豪家には必ず犬がいて、若い衆がみなおった。とかく村と村とは対抗する気持ちがあるものである。どっちの村の代表犬が強いか、日にちを決めて両方の村のまんなかへ犬を連れて出張ってそこでけしかけ喧嘩させ、キャンと啼いたものとか、尻尾を巻いて逃げたものは負けだ。あの村のお大壷の犬は弱いじゃないかということになってしまった。それは喧嘩のはじまりです。そういう喧嘩が明治初期にはじまったわけですが、そういう時代にどういう犬が強いか、第一番に体を大きくしなくちゃならない。力が強くて食いの荒いもの。おそらく私が考えるのに、樺太系統の大きな犬−−私の郷里は山形県の日本海に近い方ですが、全部むこうのほうに漁師が出稼ぎにいくわけです。そして必ず犬好きがあちらの犬をもってきた。私が子供の頃も樺太犬というのがありました。黒いといっても赤味のある犬で、毛が長く耳が立って大きな力の強いものでした。先づそういう犬が大館地方でも最も交配され易かったと考えます。
松本 耳の先は垂れていませんか。
斎藤 立っておりました。樺太とか沿海州の犬をもってきた。それらがもちろんかかったんですね。それから明治三十何年かに、小坂銅山にきたドイツ人技師のもってきた大きな犬がかかったということが伝えられている。秋田犬が天然記念物になってから昭和七年かに大館に私がいった時、田山弥一郎さんが、大館近在の犬好きで、七十前後の老人四、五人を集め、私のために座談会を開いてくれたんですが、その時そういう話がありました。小坂銅山に大きな犬が入って、それがかかったそうです。その後一関国郎さんが東京に家持って私と知り合いになってその話をしたんです。一関さんがいうには、実はいままで秘密にしておったけれども、うちに写真がある。それは自分のうちにメスと、小坂銅山の外人の犬とかけ合わせてできた子だといって、その写真をもらったんです。それは耳が立っておりますけれども、毛が短い。大きな犬です。それがこの間の「愛犬の友」社の大館の座談会では、そんなことはないといっておりますけれども、今の大館の人は知らないんですね。私が写真をもっていたんですが……。
伊藤 あの後、箱口がいいとかいかんとかいう議論がありましたの。ですからそんなものは二、三代目に入ったんじゃないかという犬をたくさん見ました。体高二尺以下でしたね。
斎藤 それで大館の老人から聞きますと一番有名なのが、中の寺の「モク」ですが、肩の高さが三尺ぐらいあった。それに子供が乗って歩く。犬というのは積載力はないんです。引く力はあっても乗せる力は少ない。ところが子供が乗っても走ってあるく。その響きが家のなかに座っていてもドシンドシンとわかるというんです。(笑)
伊藤 それはウソだ。
斎藤 少なくとも二尺五寸ということはありませんというんです。それから毛はどのくらいの長さですかといったら、煙草を吸っておりますね。そのキセルを示して、このくらいありましたというんです。元来、「モク」というのは毛の長いのをいうんですから、中の寺のモクというのは、毛が長いことは間違いない。それが古今の伝説的名犬なんです。それが明治三十年ころですね。その後に大聖寺の「サク」という犬がおりましたが、これは喧嘩の強い、ブチのある犬です。そこいらがはっきりした名犬です。大館でもはっきりした犬けんかのわかるのは明治三十年後なんです。それから大正の終わり、昭和の初めころになっては、大館の愛犬協会の闘犬場に、耳の立った犬がほとんど出ないようになってしまった。それで大正の末には泉茂家さんの死んだ「栃一号」を土俵に上げて、これがほんとうの秋田犬でございますといって、紹介したんです。当時立耳の犬はいなかったのですから。あの時分ほんとうの秋田犬というのは、「栃一号」ばかりと犬の神様と言われた泉家の犬係の伊藤英助氏がいってました。他に立耳のは一関さんの家の「ババゴマ」が「ババゴマ」の前の犬に、畜犬商の越前新吉が探し出して来る犬ぐらいでしょう。それで私は保存会を作ろうとした昭和二年ごろ、東京で犬さがしをしてみたんです。さっき伊藤さんがおっしゃったように、箱口で鉢の開いた、そして頭に縦ジワのある、喉肉の下がってデブッとした犬。これは世田谷池尻の信田さんという紙問屋の「ハン」という犬ですが、うんと大きいんです。当時二尺四寸、十四貫といわれた犬です。それから千葉県茂原町の矢崎隼さんの「笮(サク)」というこれもほぼ同じ大きさです。水野錬太郎さんが飼っていて、秘書官の何とかいう代議士に預けた犬もいってみましたけれども、それもたいへん大きい略同じ型です。その系統をききますと、平和博覧会の時に、秋田県鷹巣町の成田という代議士が、秋田県内一のいい犬だといって出したのが、銀牌かなにかもらっております。どうもそのほうの系統ですね。それらの系統はみんなシワがあってダブッとして、うんと大きいものです。私が日本犬保存会の日本犬標準をつくりました時に、あれが日本犬かどうか、口唇が下がり、喉肉も下って、ブタブタした犬として排斥すべきだと考えて、私はそういうものでない標準をつくったんです。その時分の大館の犬には三つの型があった。第一はボテボテして、しかもあまり大きくなく耳立ちも悪く、せいぜい尺九寸から二尺くらいしかない犬でこれが最も多かった。第二の型の犬は口唇も下らなければ喉肉も下らず、耳が小さく首がうんと太い犬。胴からも頸に抜けたような犬がいいんだと考えました。誇張していえば、腱の太さと首の太さと同じくらいにみえるような犬です。これは昔大館で喧嘩した犬のなかの一つのタイプなんですね。それが多少残っておった。初代の「栃」なんか、その系統でしょう。それからもう一つの第三の型は耳が下って、ほんとうの闘犬で土佐秋田、あるいはむこうの人は新秋田といっておりましたが、耳の下った犬ですね。それは大正十五年に、渡瀬庄三郎さんが天然記念物の調査委員として、当時天然記念物を管轄していた内務省から大館へ調査にいきまして、大館中学校の博物の先生をしていた岸田久吉さんが、渡瀬さんの弟子なものですから、集めろtいって鎮守のお宮の前に代表的の犬を集めた写真が残っておりますが、これが全部で十八頭写っております。そのなかで耳が立ったか立たないかわからないのが一匹だけ、あとは全部耳が下がっている。これじゃ天然記念物どころのさわぎじゃないといって渡瀬さんは帰ってきた。大正時代の大館の状態はそんなものです。昭和二、三年ごろ大館地方で立耳の犬は、一関さんの「ババゴマ」これはさっきいったようにマスチフ系統をひいておりますから、ダブッとして下っております。それから泉茂家さんが飼っていたというアカというメス、その仔の牡と、後に槙新一さんが飼った「秋葉」というメス、それから越前新吉さんが売った犬で、耳の立ったいい犬ですが、私の初代の「出羽」や越前の売犬の「愛国」などこれしか大館地方の犬に立耳の犬はなかったのです。泉さんの仔は繁殖したんですが、半数以上は耳が立たない。どうして耳を立たせたらいいんですかというんですが、田山弥一郎さんが秋田に関係したのはずっとあとですが、田山さんは闘犬専門だったんです。それで耳の立った犬なんか弱くて駄目だといって、振り向きもしなかった。天然記念物になっても他地方からくる注文は、耳の立ったものというので、闘犬協会は潰れちゃったんです。みんな闘犬をやめて、耳の立ったものを買い集めた。それで田山さんも耳の立った犬に転向せざるを得なかったわけです。いまもって大館の闘犬協会は潰れておりますよ。その時私は田山さんにマタギの犬をかけなさいといったんです。泉茂家さんの出入りは伊藤栄助ですが、田山さんの出入りは高橋多吉氏なんです。それで田山さんは高橋君に山の阿仁地方を探させて尺八寸五分ぐらいのマタギ犬を手に入れた。これはいい犬でしたが、それを手に入れて、大館の耳の下がった犬にかけあわせたところ、みな耳が立った。立ったけれども体が伸びない。二尺にいかないんです。かけ合わせて耳を確保しながらだんだん大きくしていって、ほぼ秋田犬らしい、われわれの標準に近いものが出来たのが、伊藤要三郎さんの連れて来た「クロトラ」です。上の池の端の産業会館で本部展をやった時ですが、黒っぽくてよく見るとトラになっていて、あれは良かった。良かったといってびっくりしておりましたが、あすこいらあたりの形が、ほぼできかかった。それでもわるい犬は、ひどく下っちゃうんです。良い犬と悪いものとの差がひどくガタガタしているうちに、戦争で一ぺんに秋田犬というものが大体潰れてしまった。佐藤武雄という人が、「陸奥」という犬をつくりましたが、なんでつくったか私はよく知らないんですよ。秋田犬というのはグレートデンかなにかかけ合わせて作り得るんです。タネはそれなんです。どんな種で作ろうと私は秋田犬としていいものをつくってもらえば結構だと思うんです。秋田犬の伝来の種というのは私はないと思います。私は秋田犬というのは新種だと思っておりますから、知らん顔しております。しかし一旦出来かかったそれも戦争で潰れちゃった。戦後できたのが現在の秋田犬なんです。戦後派ですよ、秋田犬というのは。(笑)日本人がつくった新種です。私はそれを承知で秋田犬のなんとかいいものをつくらせたいんですよ。秋田犬は純粋の日本犬で何千年の歴史なんていうのはとんでもない話なんです。これだけはいっておきます。
松本 大型はどうもいやでしてね。ただ私のいいたいのは、非常に日本犬界は危機にあるんです。どの展覧会でも大型が上位を占める。日保の場合ですね。そうすると中型の連中は、日本犬について非常に知識をもっているし、年数も相当永い人が多い。数は大型が多いんですが、大型がいつも展覧会の上位を占めるということが、非常な憤懣なんですね。西のほうの連中は。この点困るんです。
斎藤 私はあとの一般犬界のところで話そうと思ったんですが、中型は愛犬の友社の国際展でも、かえって欠点の少い、日本犬のよさにあるものが多いんです。大型のナンバー・ワンでも欠点はあります。結局一部の審査員は大きさに眩惑されている。あすこに審査員の間違いがあると思っておりますがね。
小川 何と云われても大型の流行は圧倒的ですから、需要供給の関係で、今は止むを得ないんでしょうな。(笑)
松本 だけど小川さん、いいものをつかまえて宣伝して売らなければいけないでしょう。一時的に外国人を騙して売ってみたところで、日本人のほうでいやけのさすような犬は最後は外国人に適応しないでしょう。
小川 無論そうです。私も実際問題として、大型犬の隆盛は、まことに慶賀すべきことでありますが、素朴だとか重厚味があるとかいうだけではいけない。このほかに幾多の特色を持たせないと今の隆盛は、持続しないと思いますね。
松本 現在のままじゃ駄目です。
小川 私は家庭犬として、ある程度の訓練の必要と、毛色の制限をいつも強調しているんです。
斎藤 それは小川さん、大型のスタンダードを使って。戦後の犬でもかまわないから、これを土台に、あなたがおっしゃるように一つに形の固定した犬でいこうじゃないですか。ドーベルマンだってシェパードだって、みんな歴史は何十年しかありませんから、人がつくるものなんですから、一向かまわないですよ。
各型別に等級の採用
ババ 神奈川では、この春から日保神奈川支部の展覧会には、大型、中型、小型と各型別に整理して、各型に等級をつけるということで、いくつもりでございます。これがどのくらいの反響があるかわかりませんし、色々問題はあると思いますが賞を渡す時の問題は別個に、委員会で決めるとして、テストケースとして審査そのものは型別にやる事に定まりました。各型個々の進歩に役立つと思います。
斎藤 それは結構だと思います。大型、中型は同じ犬が大きくなったというんじゃなく、犬種が違うんですから……。
長島 その話ですけれども、日保の本部展から通じて見て現在そういう方向に動いていますね。去年の春からの賞制を見れば解るように、各型の三大賞を選出し、最後に三型の総合賞を決めるということで、実際は前者で終了、後は儀礼的な旧態の遺物ということですね。大きな方向としては大、中、小を確実に別犬化していくということで、現在保存会はそういう方向に向かっていると思うんです。
斎藤 私の関係している当時の日保の審査結果を見て下さい。秋田犬にそれまで見たことのないような犬が出ても、最高賞(文部大臣賞)をやったのはないでしょう。
別府 最高の総合一席なんていうことはやめればいいんですよ。
間島 それに付け加えたいんですが、日保はわれわれにも大型といって審査されるところが天然記念物ということになると、大型を引っ込めて秋田犬でござい……。われわれは秋田犬はなんら研究していないんですから。
天然記念物の定義
斎藤 天然記念物指定という問題と、犬としていいものとは、一つは学問上古い型をのこすということで、一つは畜犬的に良いかどうかということでその鑑別がちがってまるっきり筋が違うものなんです。だから日本犬保存会の銀座松屋における第一回展覧会において、泉さんの「金」が出ております。これは当時天然記念物指定犬のただ一匹なんです。天然記念物というのは秋田犬しか指定していない時代です。当時個々の犬に指定したのは「金」しかいない。この「金」にその時審査員だった泉さんは唯一の天然記念物指定犬だから文部大臣賞をやるべきだと主張したんですが、私は違うんだ。天然記念物の審査と日本犬保存会の審査とは違うとはっきり日保の審査の態度を決めたんです。鏑木さんはよく「われわれのは学術的なもので、あなた方のは犬好きがやるんだ」といってましたよ。天然記念物指定犬が一番いいものだろうから日保展でも一番いい賞をやるというもは、とんでもない話だといって、まったく別個にしたものなんです。それで、第一回展では中紙さんの北海道犬の「ゴロ」が一席になって文部大臣賞を与えられたのです。鏑木さんの見識をもってその研究の結果によって天然記念物に指定し、日本犬保存会はそういうことを白紙にして、犬としていいものを審査したわけです。だから私が日本犬標準をつくった時も、天然記念物の標準を考慮して作ったんじゃないんです。ところが私の日保引退後の戦後鏑木さんが日保の会長になってから、これは日保を大きくする政治的な策略になったでしょうが日保の標準で日保の展覧会で、審査して良いとしたものを天然記念物指定犬にする、私は天然記念物の標準をつくった覚えはないんです。天然記念物の標準は学術的研究に基いて文部省が別につくらなければならないものなんです。天然記念物は昔からあるもっとも古いタイプで、学術上残されなければならないというのが天然記念物の主旨で、犬としていいわるいということは県警すべきものじゃない。残存犬を資料に改良繁殖して犬として良い日本犬を作る意図のもとに私が起草した日保の標準で審査して、その観点から良いとした犬を天然記念物の指定犬にしてるのは鏑木さんが天然記念物としての学術的研究の根拠が薄弱なため日保の標準に頭を下げて合流したということになる。
松本 中途半端ですね。
斎藤 畜犬的日本犬標準とはベルに天然記念物の標準をつくらなければならないものなんです。日保というものは創立当時から天然記念物の事業とは直接絶対に関係ありませんよ。それを私は何べんいったかわからないんです。そうでなくちゃ日本犬は学術標本以上の発展はしませんよ。
伊藤 私もそう思います。天然記念物というのは例えていえば日本の古画であって現代では横山大観の絵でいかなければならない。それをやっぱり狩野元信の絵でなければならないという観念でしょう。
斎藤 だから私は、毛の長い犬が秋田犬の代表犬だったら、毛の長いものを天然記念物として指定すべきだ。昔はブチのものが多い。斑犬は少くとも鎌倉末期の絵巻に沢山出てきますね。四百年、五百年という歴史をもっている。そうするとブチの犬を天然記念物にしなければならない。そうでなければ意味がありませんよ。私が日保の標準でなぜブチを抜いたかというと、畜犬としてどんどん淘汰して、犬としていいものを繁殖したいために、ブチを抜いたんです。犬というものは畜犬的には人間生活に合わなければ意味はないんですから時代とともに発達し時代と共にできるものなんです。
松浦 そういうところから、現在天然記念物という言葉を使わないで、優良日本犬種ということになったんじゃないですか。
間島 ところが、申請は秋田犬ということになっているんですよ。大型なんていうんじゃないんです。秋田犬、柴犬……これは日保としてはわれわれに関係ない名前なんです。
長島 名称は日保の今後の課題として検討されるのではないですか。
斎藤 同時にある古い型の犬を保存すべき団体なのか、繁殖団体なのかということになってくる。私は日本犬の畜犬的繁殖淘汰するための資料犬を保存しようというんで、十何年間やってきた。私がやめる時は日本犬は約二万頭に達したというからこの保存事業は一段落だ。これを犬としていいものにつくって下さい。この仕事は私ができなかったから。あなた方にお願いします……。保存ということは一段落だとはっきりいったんです。それで京野君が、天然記念物の問題が起きた時、昭和十五年八月の日保の会報に「日本犬の天然記念物指定について」という題で書いて「天然記念物というとなにか御神託のように随喜渇仰して迎える者もないとも限らぬので」と断って、「日本犬は死物でも前世紀の遺物でも、腐朽品でも野生物でもない、日に日に、改良進歩しつつあるもの」と日保の日本犬の繁殖指導方針とは関係のないものであると書いております。もっともこれは京野君が日保の主事の谷川君に代作させたものですが最近の愛犬の友九月号の秋田犬の座談会で京野君は展覧会で種犬として資格あるものがつまり天然記念物として価値があると思うと云っている。これは大きな間違いです。天然記念物の種犬ならともかく、畜犬的な日本犬のための種犬を、天然記念物に指定しようものなら、今の小型以上に取り返しのつかないことになってしまいます。天然記念物と日本犬の将来は、全部別なものです。唯古いものに還元しようという考えでいい犬を作れたためしが、世界のどこにもないのです。
小型犬の検討
斎藤 ここで小型に移りますが、12月の小型研究会に出席しまして、「中」系統の小型犬を拝見したんです。それで私に批評せいといわれましたが、私にはよいとは思われなかったので批評できなかった。
松浦 現在の支部展を通じて、だいたい良程度の犬を集めたんですがね。
斎藤 小型としてはいいものをお集めになったんだろうと思いましたが、全部通算してそうとの欠点があることは否定できない。
長島 同じような系統のなかにも、口吻の幾分短い太い又骨ぶとの昔の狸型の感じの犬もいることはいるんですよ。ですから今後改良の目標として先ず同系統内でも改良の途も幾分あると思うんですけれども、近親交配による弊害犬の除去は確実にやって戴く事ですね。毛質の問題は、全部といっていいくらい極端に角度が寝ております。しかも長めですこしやわらかい。毛色が薄くなっておりますね。
松本 それからもう一つ、針毛はねるほどあります。針毛らしいものは。しかしヴァラエティがない。非常にきれいで可愛らしいという意味ではありますけれどね。
松浦 先月の小型研究会でお目にかけた中に三ヶ月半くらいで比較的ブチのある犬がいましたね。あれはほかのものに比べていくらか毛が立っておりましたね。
斎藤 どうしてそうなったのか、中系というものにどんなものが入っているか知りませんが、二代、三代と都会で飼ってもあんなものにならないと思うんです。中城君の審査報告も見たのですが、私は多方面から何べんもその報告についての意見を求められたんです。中城君という人は非常にロジックはよく組立てるけれども、犬そのものを直感的にわかる人だとは思ってなかったので、その報告を読んでも私はあまり感想をいわなかった。ただその時に中型と小型は画然と分けなければいけませんよといったら、提案したのが「小さくて、ピチピチして、可愛い!」この三つのモットーなんです。小さくて、ピチピチして、可愛いというなかに日本犬らしい風格は一つもない。この三つの提言の通りに指導すれば、現在の小型の通りにならざるを得ないんです。日本犬の落着いた、ボヤッとした狸みたいないい味は全部抜けてしまうわけです。
馬場 三つの原則に対しては昭和15年の日保会誌にでしたが、神奈川支部で座談会を開いて説明不充分として反駁した事がありました。つまり日本犬のテリヤ化と山椒は小粒でもピリッとからいというように形ばかりでなく迫力があり力強さがなくてはならぬという事だったと思います。当時はまだ小型が細すぎるなどという問題はありませんでしたがね。小型犬選択についての見方順序は何から先づ見るべきかについては日保十九回本部展評に述べて見ましたが、現在はわれわれはもっと日本犬らしい素朴な魅力のあるもの、つまり「日本犬小型に魂と骨を入れよ」という簡単な標語をモットーにして選択と作出の指針にしている訳で小型愛好者は痛切に感じておりますし、あの三つの標語に対して、全然違った標語をつくらなければいかんというふうに考えている方が、非常にたくさんおります。
斎藤 そうですか。心強いことです。中城君はクリアーな頭で、中型と別なものをつくろうと思って標語をつくったんですがね。それで標語通りの犬がだんだんできてくると、中系としてインブリードするものが出てくる。成る程中型とは全く味の変った小型になったのですが、現在の小型というものは、世界の小型の犬のなかでどういうポジションを占めているか、研究していない。中型と味の違ったものはできたけれども、現在の日本小型犬では生存能力を持ち得るかどうか、おそらくないと思う。あれだったらテリヤを飼ったほうが早い。他の洋犬の小型のなかに互して特色と魅力のあるものにしないと残っていけませんよ。
馬場 このごろの小型愛好者は小型犬を若いときから展覧会に出したがります。つまり六ヶ月くらいの犬を出して、審査を受けて賞をもらう。そういうものは早過ぎて未完成な犬なんですが入賞犬なのでそれがいいというふうな先入観にとらわれる。そして日本犬の小型というものは、ああいうものだという考えになって来て終っておられる方が多いと思うんです。ところがわれわれは昔の古いことをいうわけじゃありませんが、以前の展覧会というものは、山から掘出してきた成壮犬が多い。そういうものを見てきた眼からいうと、およそほど遠いんです。そういうことから間違った種犬が残されて来ますし、それをもととした考えでいくからなおさらピンとの外れたものになっていくというふうに考えるんです。
斎藤 おそらく戦後小型を始めた人は小型というものはああいうものだと思い込んでいるんでしょうが、私はあれを拝見して家へ帰って、夜中まで眠れなかったんです。折角あれだけ保存して残したのに、別なものをつくられてしまった。なんとかしてもとのような味わいの深いものを作る方法はないかと、ところが私の経験では紀州にも小型があり、あるいは岩手県にもあります。しかしながらその先祖には相当大きいものが入っているんです。その小型をかけるととんでもなく大きいのが出てくる。現在の小型をカムバックさせるには、中型の一般的に小さい体格の産地のもので、いい素質のものをかけなければならない。ずっと考えてみると、まず高知犬しかない。高知犬には比較的小さい、割合に純度のいいものが残っているんです。
馬場 実は一昨日古城さんと三時間ばかり話したんですが、私も先生と同じ考えをもっておりまして、おそらく四国においては最近小型を本気でかけている方は少ない。それで更に充分山を調べて見て小型の種犬となり得るものがあるかどうかをさがしてみたいと思っています。小型改良という大衆的見地に立ってどなたでもよいからさがした方から利用させて頂きたいといったら「クモ」という犬がいましたね。あんなような犬、それからもっと古くは「コロ」ああいう式のものがあればお知らせいただきたい。文字通り雲を掴む様ですが希望を捨てたくない。私はああいう犬を入れて改良して、少くとも日本犬らしい、素朴さと骨董的な深みのある、迫力のある小型犬をつくっていかなければならん。島根の犬とも思いますがこの方が望みが少ない様にききますからまず四国の犬をさがしてみたいと思っています。皆さんにも現在の同一系統一本槍でなくお願いしたんです。勿論私は中型を使えという訳ではないのです。
斎藤 中型犬はまだ山に残っているが小型は全部山から出て都会にきて、山には残っていない。北海道の日高のアイヌ犬、あの式を現在の中系統に入れていったらどういうものかと思いますけれども、北海道の犬を入れて、風貌がどうか、私は現在の北海道日高系をあまり知らんものですからわからない。四国の犬に詳しいのは松本さんだ。松本さんは小型はもう駄目ですよと私にいうんです。私は駄目ですよといっても投げることはできませんからなんとか考えなければならない。あんたは中型専門だから中型を考えていればいいかもしれないが、この間甲斐にいったら間島さんが割合いい小型を見たという知らせがあったものですから、一つ松本さん長野、甲府あたりの小型を調べて、どうしてカムバックさせるかという一つのアイデアを考えて東京にきて下さいといって頼んだんです。それで小型のタイプで極く小さい体格のもののいいものを探すというのは容易じゃないんですから、中型の形の小さいもので一向かまいませんから、良い味のあるものを小型のなかにぶち込むんです。少し大きいものができても淘汰して小さくもできますし極端にいえば尺四寸とか尺五寸とか、小さいくしなくてもいいんです。日本犬小型を柴犬という独立した犬種に、即ち日本犬のなかの中型小型の区別でなしに柴犬という犬種に考えれば、柴犬の体の大きいものと猪犬の小さいものがその体高が重り合い入れ違って居ってもかまわない。中型小型と同じ犬種のなかで別々に区分けしようと思ったんですから、中間体高をのけちゃって片っ方は小さく、片っ方は少し大きくと考えなければならなかったんです。そこであれは畜犬的にいうと、日本犬として大中小三型としてまとめようとしたから、これはミスなんです。柴犬というのは全然別個な犬種にすると、尺五寸から三寸あろうが、これはかまわない、別な犬種なんですから……。そう考えていけば、現在の小型の途が開けるんです。
馬場 私はこの間の日保の審査部会の時に、小型の体高を現在の一尺三寸五分を、四寸まで上げろと主張したんです。その時は現在のままにおいて、大きいのをとればいいじゃないかということだったんです。しかし現在の本部展を見て、あれじゃ駄目だ。それでこんどは一尺四寸まで許容される事に努力するつもりです。
斎藤 一尺四寸五分ぐらいにどうしてもしていかなければならない。
馬場 もとの一尺四寸へもっていって、新たに多少大きくとも小型体型をもち本質的よさをもった血液を入れていく。今の機構ではやっぱり展覧会と両立しないで、衰微していくんでしょうね。
斎藤 私は柴犬は別に、独立につくりなさいというんです。
馬場 私はそういう規定面から改良する。大きいものが出て来ても展覧会で救う道を考えていく、つまり、片っ方は規定面で変えて、片方は少しじっくり時間をかけて作出して小型を改良し得る様にする。そして多少を大きいものを吸収をしていく。こうすれば途中で作出者の熱をさまさせずに改良していけると思うんです。
斎藤 起死回生ですよ。
松本 あらゆる意味で今の小型は纏足ですね。
長島 話は戻りますけれども、紀州に小型がいるというのは、あれは偶然的に出たもので、古来おった小型がそのまま残されてきたものじゃないんです。ああいうものを目標にするより、現在同系統においてもまた形の変った、感覚の違うものがおりますし、山陰の系統のほうにも変った、感覚の違うものがおりますし、山陰の系統のほうにも変った血液のものがあるんですから、なるべくならば現在の決まった三寸五分程度のもので、その中からやったら……。
斎藤 あなたの考えはよくわかりますがね。それで私は松本さんに公平に見て下さいと頼んだわけです。松本さんも責任を感じて実は甲府から穂高まで足を伸ばされ、穂高の局の消印で、きょう四時に着くと電報がきたものですから、松本さんに気の毒なことをしたなあと思ったんです。これは日本犬のためですからご勘弁願うとして、それで山陰の島根のほうには、私の知っている限りでは現在はほとんどいい犬はいないんです。鳥取の尾崎さんの「太刀」という犬、これは写真で拝見しましたが、スマートさは持っていても駄目だと思うんです。
馬場 あの犬はいま私が極端な言葉で表現すると、だいたいにおいて中系タイプの犬なんです。同時にあの犬の仔は眼のふち及び鼻色が小豆色に出たのを見かける又牝親によることと思うが、もう一つ毛質がちょっと考えさせられるのです。脚の先へいくほど濃くなる毛色で、根本まで濃いし毛色がぼけている。この犬の濃い血を吸収していくことは牝を余程考えなくてはならぬし反復交配は研究の余地があると考えられます。
斎藤 それは知らなかったんですが、これが有名な太刀かと思って見たんです。近年の小型の中で山陰地方のナンバー・ワンだろうというだけに、びっくりしたんです。
別府 鼻の赤いのが出るんです。
長島 現在同一系統を繰り返しているんですね。一番心配しているのは、体質の低下ですね。仔犬の死亡も大へん多く、耐久力が少い事です。中型に血を逆流させることも一策であるが、多くの欠点を残してもここまで小型を固めたのですから多少同じ欠点があっても、島根方面或は最近関東方面から四国へも移入されているので四国地犬の交流犬等を検討して作出に使うのも良策ですね。。中型犬の使用というところまでいかなくとも何とかなるんじゃないかと思いますね。
松本 中城氏のたなおろしみたいになってしまったんですが、あの中系というものも使わなければならない。あえにどういうふうに清新な血を入れるかということですね。
斎藤 去年の暮れに甲府にいきまして最も良いという一頭を見ましたが、全然駄目です。甲斐犬の特色を忘れていますよ。甲斐犬の特色も体調も味も忘れて世の中の小型の一般的常識に同調した結果今のような下落したものになったのでしょうね。
松本 島根はほかの会員を使って全部調査しましたが、いないんです。調査した処やっぱりエン・ペー・カーを出して終っているものですから……。駅の助役さん、駅長さんなど例の磯貝の宣伝が非常に効果があって、駅長さんが飼ったからというのでみんなあれをかけるんですね。伝播力は猛烈なものです。それから宇和島のセンター・ランドも調査しましたが、良いものがいないんです。やはりある散髪屋が大正時代に三河を入れたんです……。
長島 いま湖内に残っているのに、こっちからいったのがだいぶあるわけですね。
斎藤 こっちから行ったとするとそれは危ないんですよ。
間島 いま斎藤さんから土佐の犬が……というお話が出たんですが、山梨のある系統の子供が完全に致死因子をもっているので、私は土佐の犬を入れたんです。ところが致死因子についてはみんなそうじゃない、そうじゃないというんですが、それで血液更新のために土佐犬の三つ牡を入れまして、「コマ」というブチ、それから「イチ」という赤い犬、それと「多磨」という犬なんです。現在その子をとってみた経験をお話すると、ブチ犬の「コマ」が一番良かったんです。
斎藤 サイズからいうと、みんな大きいです。小型に注入するものはもう高知しかいないと思う。高知の犬は割合小さいんです。
間島 われわれのグループで「コマ」の子をもっておりますが、どれがあまり子をとってないんです。高知に「イケ」の系統が残っているということと、もう高知市内付近じゃ駄目ですね。
斎藤 山から出さなければ駄目です。
間島 中城君は紀州系、紀州系ということをいわれるようですが、中城君のところにいる「中紀美」これは見ませんが豊田君のところにあるのは少々大きくて。
松浦 あれはいま戻ってきております。
間島 ところが一つあるんですよ。東彦次郎さんがもっていた犬の系統で、二十三年秋の新宮展にいって調べたんですが、ちょっと大きいんです。尺三寸五分あるかというくらいですが白い牝でヨンといったでしょうか私はそれが欲しくてしょうがなかった。ところがもっている人が猟によいということでどうしても売りませんで、二年ばかり経ってから、岩本さんに交渉してもらったら売るという。しかしどうしても一万欠けちゃ売らんというので、断念しましたがそれのほうがむしろ良かったと思うんです。
斎藤 ところで松本さん、小型の起死回生の策はありますか。
松本 一応小さく固定されたことは認めるんですが、それから姿自体は割合いいですよ。ほかからこしらえることはできないんですね。姿はわるくないんです。弱々しく見えるという点はありますけれども、それを活かして、構成は割合いいですよ。
長島 顔貌の品位は工場していますね。
松本 体ですね、体の組立てです。細い太いというのをのけて、割合僕はいいんじゃないかと思うんです。ただあれに力がない。いわゆるバックボーンが入っていないんですね。それから顔に性根がない。むしろ眼尻なんか下っているんじゃないですか。私は、みな眼尻が下ってベソかいてるじゃないかといったんですが、やっぱりまなじりを決したような正面から見たらぐっと力のあるようなものをこしらえたい。それから一番困るのは毛ですね。毛が寝ている。ヴァラエティのない変な毛ですね。あれをだいぶ変えなければいかんですけれども、斎藤さんは四国の犬を使ったらいいだろうと言われる。これは確かに間違いなんです。間違いなんで、私はあまり興味はなかったんですけれども、宇和島から播多郡の奥を数日歩いて調査したんですがやっぱりそういうものに使えるというのはいないんです。もう血が濁ってしまっている。もう一ぺんいこうかと思ったのですが、一本橋を渡らなきゃならないのが、こわいんでしてね……。それでサジ投げたんです。
馬場 「十国」は昭和七年ごろいって調べたんですが、みんな駄目なんです。
斎藤 私が昭和三年調べたときでさえ、良いのは極く少なかったのですから。
松本 現在の四国系の中型で、名のある系統のものを、惜しくても提供して中系にかける。これで優秀なものができるというあてのあるメスはおりますけれど、さてそれをどう提供するかどうか、僕は綾田君の「千美」あれを提供すれば絶対だと思うんです。
長島 現在どのくらいですか。四寸七、八分ですか。
松本 ええ、「熊の眼」というのは、四寸六分です。その牝は完璧です。眼の威力口のしまり、ああいうものを使えば成功するんじゃないかと思うんです。
長島 四寸ですよ、そう幅はないんですね。
松本 そのなかからセレクトしていけば面白い。
長島 四寸くらいで、体の構成はおしつまったというところはないんですか。
松本 ないんですね。
松浦 山梨で見てきた個々の犬についてお話願いたいんですが、例えば坂口さんの「中市」、眼がわるくなっておりますね。あれはどうでしょうか。現在「中」か「中市」かといって、「中市」がさかんに使われておりますが……。
松本 あの腰抜けた……。あれはいいと思いますね。それから「中コロ」というメス、これもいいですね。
平岩 インブリードの致死因子というのは実際にはどういうのが出るんですか。
間島 死ぬのが多いです。
平岩 致死因子ですね。どういうものなんですか。はっきり研究されていないわけですか。
間島 ええ、そうなんです。それとビッコですね。
平岩 育たないで死にますか。赤ん坊の時に。
間島 必ず死んじゃうんです。
長島 中型固定の方針に一つとして、北海道、紀州、四国と三つに分けてみて各々の消したいところ、残したいところ、こういう点について御感想がありましたら……。これは相当それぞれの地方のローカルカラーが強いですから消したいところ、残したいところがあると思います。一つの犬種をつくり上げる段階において、現在の大きな地区別の長所、欠点を並べていただきたい。
松本 姿のいいのは、やっぱり土佐でしょうね。それから性質のいいのは紀州でしょう。ところが土佐でも紀州よりまた性質のいい犬はおります。私が飼っていた「ジャック(寂)」なんか、実にいい犬です。あんないい性質の犬は知りません。
斎藤 本川系統ですね。
松本 私は放して歩かせるんですが、道でほかの犬に出会っても、むこうが挑戦しない限りは、いかなかったですね。
斎藤 私は北海道の犬は、別個にすべきものだと思うんです。紀州犬と土佐犬とに北海道のミックスして、一つのいいものをつくるのは無理だと思いますね。
松本 北海道の犬じゃ「安康」なんか絶対いやな犬です。第一回の「ゴロ」という犬がいますね。あれはいいと思うんです。北海道犬では非常に迷うんですが、「ゴロ」のような犬が出れば北海道はいい。それからこんど日保本部展に出た北海道の犬は感心しませんね。
斎藤 北海道犬は北海道でどうぞ繁殖して下さいと申したい。あれを入れようとすると、混乱しますよ。むしろ高知の犬と紀州の犬だけのほうが、中型としてはいい犬が出ます。あれは北海道犬協会にお任せしたほうがいい。
松本 実に動作がのろいですね。すぐ息切れがする。毎日、猛烈な運動をさせたらと思い、人を雇いまして毎日山でヘトヘトになってのびてしまうくらい続けたんです。それが一年でやめました。ちっとも変わらないんです。あれが北海道犬にサジを投げたんですが……。
大型犬の改善
小川 小型と中型の改善については、結論が出んまでも、ヒントは得ましたが。大型の改善策に対しては、まだ御意見がありませんな。
斎藤 大型はどうにでもなるものなんです。アメ細工みたいなもので……。一つのスタンダードをつくって、ここへもっていくよう指導すれば、そこへいっちゃいます。耳を下げようと思えば下がります。もっと大きくするといえば大きくなります。どうにでもできるんです。近年つくったものですから、非常に固定した頑固な血はもっていない。その証拠には一腹でどっちにも動くのがたくさん出ております。これは指導の方針の決め方いかんによって、その方針の犬ができてくるわけです。
松本 こういうことはいえますね。大型は現在の犬をもって国宝犬とかいろいろ宣伝されちゃ、あれでいいんだと思ってしまうんです。もっと大きな意味をもって、どうせ新種をこしらえるんだから、中型にも遠慮でコソコソしながら、無理強いに国宝犬というのを続々出したり、天然記念物をジャンジャン鳴り物入りでやるより、あれはまだ過程だというふうにはっきり出して、もっと大きな意味をもって進んだほうがいいんじゃないかと思うんです。
斎藤 ところが体格はあまり大きくできないんですよ。欠点が出ちゃってしょうがないんです。
松本 だから例のジュラップ(咽皮)とか額の線ですね。ああいうものをなくして、中型愛好者でもこれはいい犬だと思わせるものをつくって、はじめて威張って欲しい。
松浦 最近できてきたんじゃないですか。
斎藤 に尺五寸とか六寸とか、大きくしたらできません。
松本 ごまかすにしても、もうすこしうまくごまかして……。
長島 結局秋田犬の標準というものは、新しい犬種になりつつある大事な時だからもっと現状を認識して、身体各部の計測を全国に呼び掛け、秋田犬独自のスタンダードを作り上げろというわけですか。
松本 そうですねいまのままを是認して満足されちゃ困るということです。いかに上手につくるか、もっとつくり方を研究することですね。あえで満足しているような姿に見えてしょうがないからやっぱりどうしても一席におきたくなるでしょう。
長島 消したいところはどこでしょうね。現在の日本犬で。
斎藤 イギリスとアメリカへ現在の秋田犬の写真を送ろうかと思ったんですが、どれを送ろうか、みんな欠点をもっていて、困ったもんだなあと思ったんです。それでこれはここが欠点だと書いてやろうと思うんですがね。
長島 一番大きなところはどこですか。
斎藤 統一していませんよ。
松本 口吻のベロベロ、これはいかんですね。ヨダレがいまにも落ちそうで。もっと清潔でなければ……。それからジュラップですね。次に後躯がきびしすぎる。ショボンとしているんです。あれはやっぱり三河が入っているからでしょうね。
斎藤 そうじゃないな。昔から大型はみんな後躯に欠点がある。これは日本の馬も牛も同じです。
松本 それで前後躯がバラバラに歩いている。
斎藤 その通りですね。
長島 それは確かに見受けられます。ほとんどですね。
平岩 背のたるみがひどいでしょう。
松本 耳なんか、全然違いますね。無理ですね。
斎藤 だからつくるよりほかない……。じゃ次に一般犬界に就いて話して終りましょう。私は秋田犬は秋田犬、中型は中型のなかで代表的な猪犬、柴犬は柴犬というものを独立犬種にして、独立クラブで各犬種独立の繁殖方法をやらないと駄目だと思うんです。同じ会員がダブっちゃって、同じ形式の大中小に分けて、一つの会にまとめていくんじゃ駄目ですよ。柴犬は柴犬のメンバークラブで、柴犬の展覧会を開き、柴犬だけで優位を争う。柴犬愛好者だけの研究会、座談会を開く。そしていいものをつくっていく。そういう一犬種一クラブの方式にもっていかないと、うまく発展しませんよ。これは日本犬界の一つの大きい方針としてどうですか。いまのように一つの会にまとめると犬の多い、会員の数多い型にみんな負けちゃうんですね。一つの会にまとめるということは、日本犬の発達上よくないと思うんです。
松本 いまの日保のいき方じゃ、会員の数によって大型が多ければ大型が一席、中型はそのつぎだから、下って二席へいくとだいたい決まっているようですね。
斎藤 犬のよしあしより、自由党が多数だから自由党に力を入れよう賞もやろう、あれじゃいけませんな。会を大きくする政策にはいいでしょうが、犬のためにはよくない。最後に、日本犬の審査員として一番昔からやっていて、最も犬に明るくて、しかもきょう聴いてばかりいたのは平岩さんですから、平岩さんに、きょう話したことに対する感想を承りましょう。
間島 どうぞ率直におっしゃってください。
平岩 いまいろいろ問題が起こってきたのは大型がこういうふうに、ひどくいえば豚みたいになりつつある。小型は松本さんはおっしゃったように、纏足の女でテリアみたいな犬になりつつある。日本犬がほんとうの危機に直面しているというのは、一番日本犬の生みの親である斎藤さんが、その基礎をつくっておきながら、途中であまり身を入れなくなった結果だと思うんです。これは小型の起死回生の前に、斎藤さんに本来の使命を達成していただかなければ、日本犬は救われないかと思うんです。
斎藤 どうもありがとうございますはね私は十五年間日本犬のために奉仕して結局愛好者という者の下らなさと無責任さにいやになって日本犬を中心とした学問の方に没頭してしまったんです。私は生活さえ安定すれば、なんでも御奉公しよう、ところが私は最近生活が安定できないんです。ですから重々責任は感じながら出来ない。こんどの日本犬研究会の秋田犬のスタンダードつくりにも、一応各犬種の最近の英文スタンダードを研究などしたものですから二月余かかっております。あの間ほとんどほかの仕事はしておりません。私のいまのオフィスを七月につくってから今日まで、ほとんどいろいろの動物の会のために毎日奉仕です。そのために人を雇っていますがこの助手も正月以来動物関係の英語の仕事だけで毎日です。私が餓死しないで、妻子を路頭に迷わせないで、責任をもってくださればもう一ぺんやりましょう。
松本 これは可能性はあるんですよ。僕も計画したことはある。あるけれど時期が早すぎた。斎藤さんがいなくなった時、残るのは日本犬を世に出したという大文字が一番残ると思うんです。斎藤さんがこんどの事業で成功されようと、この日本犬の事業が一番残ると思います。相当憎まれ口も叩かれた。しかしながら自分が拾い上げた日本犬が間違った方向にいくということに対して、憤りを感じる。その信条ですから小川さんも気をわるくしないで、うまく斎藤さんに協力してやっていただきたいと思うんです。
設楽 斎藤さんはさっき、バケモノのような秋田犬と言われたんですが、しかし外人というのは、日本犬といえば秋田犬だと思っています。あの渋谷駅前に建つハチ公の銅像、その犬の剥製は博物館にある。中型も小型もない。きっとあの犬が日本犬としていいものだろうということを、少し熱心な外人は考えているんです。あれを建てられた時のお気持ちはいままでのお話を伺って、私はだいたい察しはつくんですが、しかしあれが外人に及ぼす影響というものは、バケモノと言われた日本犬の中の秋田犬が、ほんとうの日本犬なのだろうかと思っているものが多い。功罪相半ばする結果を現在生んでいるという事も、これまた斎藤さんのなさったことで特筆大書すべきものだと思うんです。
松本 剥製の写真を見て、あのような秋田犬をつくってもらいたいと思いますね。ああいう犬だったら、中型をやめて秋田犬に走りますよ。
斎藤 あの剥製はうちの初代「出羽」を参考にしてハチの盛時の風貌を作らせたのです。あれができた時、台車から外して、足の鉄棒のところを砂利の中に埋めて、大いに曳綱をつけて私が曳いている形の写真を撮り、関西展にもっていって審査員達に見せたら剥製と気のついた人は一人もいなかったですよ。
松本 実によくできていますね。ああいう犬を再現する可能性はありますから、大いに御研究願いたいと思います。
加藤 いろいろと日本犬の問題についてお話を伺って、非常に参考になりました。日本犬の現状は隆盛の一途をたどっておりますが、日本犬を飼っておられる方が、日本犬の正しい在り方について科学的に研究しあい、討議しあって正しい方向を見出し、それに向かってすべての愛好者が愛犬家としての情熱を注いで行くことだと思います。指導階級の独善的な意見や、愛育者の独善的な自己の愛犬中心の盲愛は、日本犬発展のためにはお互いに慎むべきであると思います。
斎藤 ではこの辺でどうもありがとうございました。特に松本さんには、遠路まことに、御苦労様でした。今後もよろしくお願いします。  (終)

「日本犬私観」 山田舜亮


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「日本犬私観」 山田舜亮
This material issued 30. Sep 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第九号(昭和十六年九月三十日発行)より

 日本犬はあくまで日本犬であります。日本犬のなかに紀州犬とか、土佐犬、北海道犬、などといふものはあり得ないと思はれます。又新しい日本犬とか、古い犬、中間性の犬なるものなどは勿論あり得ないと思ひます。これ等はあまりにも分類学的なものに拘りすぎているのではないでせうか
 私はむかし、学生時代、昆虫研究をやっていた当時、分類学的なものが昆虫研究の全てであるかの思つていた事がありました。それも必要なことに違ひありませんが、生態研究の方がはるかに重要なものであることに気がつかなかつたのでありました。その様に日本犬も分類学的な研究も時には必要でありませうがこれから出発した本統の日本犬学にすすまなねばならぬかと思ふのであります。
 私はかう思つてをります。
 日本犬はいつ何時でも役に立つ犬でなければならないと。
 引き紐で引つ張つて歩き、他犬と喧嘩で日暮らすのではなくて、人のため、飼ひ主のためなら、火の中でも飛び込む犬でなければならないと思ひます。繁殖のための繁殖ではなくて役立つ犬の繁殖でなければならないと思ひます。
 今、仮にこんないるとしますと、世の人はどう思はれるでせうか。つまり朝から晩まで犬舎の中に閉ぢ込められて、朝夕の大小便にのみに連れ出され、展覧会に出陳されるだけが目的で飼はれているやうな犬。犬舎から外に出されて引き運動の時に他犬を見てはガアガアやつたり、猫や鳥を見ては目の仇のやうに飼ひ主の静止も聞かず狂つたやうになる犬。人家離れた所で、まあ大丈夫と思ひ、放そうものなら、フッ飛んでしまつて、飼ひ主が呼ぼうがどうしようが、一定の時間自身が走り飽いてからでなければ飼ひ主の元へ帰へらぬやうな犬。犬舎の中に居るとき他人が近づこうが知らぬ顔をきめこんで、ワンともウーットも言はぬやうな犬。(実猟犬の場合は別)
 こんな犬があつたらどう思はれませうか。恐らくこの様な犬は犬にして犬にあらず、生き物に過ぎぬと思はれませう。よし、それが嘗つては展覧会に入賞した犬であつたとしても、如何に美しい犬であらうが、それは生き物に過ぎぬのであります。
 畜犬といふ観念から余程とほくかけ離れた存在であります。この様な犬が日本犬の中に往々あるやうに思はれるのは遺憾なことであります。
 これをむづかしく申しますと、日本犬の繁殖は使役犬繁殖なりといふことになりますが。
 しかし、この使役犬といふ事自体はむづかしいものでありまして、人々にお依つてはその解釈の仕方が異つているやうであります。シェパード犬的な使役を使役と考へたり、芸当のうまい犬を使役犬と思はれたりしているやうですが、これは考へ過ぎたり、むづかしく思ひ過ぎる結果から起きる錯覚であります。犬には食用犬、愛玩犬、使役犬、学術的実験犬に大別され、これ以外に犬はあり得ないと思ふのであります。
 この使役犬の中には普通に考へられている家庭犬、さらに飼はれている番犬が含まれているし、活発な猟犬も含まれていることであります。更に飛躍してシェパード的な使役は勿論含まれてをります。専門的に互る使役であります。ここまで来る素地を日本犬は多分に持つてをります。それ故ある一部の人々がいだいている偏狭な考へも、も少し胸開くといふ気持で、打開してもらはねばならないと思ひます。例へば、使役犬至上主義は古い型の犬を失くしてしまひ、それでは純粋な昔からなる日本犬は亡びて、日本犬の抜けがらが残るだけだなどと思はれていることであります。
 私は古い犬と謂はれているものを重要視してをります。今、殊更らに古いふのは、適確な語字を以つて、その風貌を傳へることが出来ないので観念的にピンと頭に感じられるやうに古い犬と言つたまででありまして、何もこんな名称の犬が特別にあるといふのではありません。
 犬の繁殖が進められてゆく内に必ず、犬舎繁殖の弊害が起きて来ます。都会で繁殖されるなれば、尚一層それが際立つて顕れてくるのでありますそれ故S犬やA犬やD犬などのやふに系統が少なく、近親交配を重ねているものの間では層一層その弊害があるのであります。新血統犬とか、挿入繁殖などと言はれているのは、この事を如実に物語つているのであります。
 斯のやうな点から見て日本犬もこの前者の失敗を再び繰り返へし度くないのであります。これにはがつしりした骨組みのむしろ繁殖的に洗練されていない、然も野蛮的でなく、素朴な持ち味のある犬を基礎として繁殖しなければならないのであります。繁殖的に洗練されていないといふと、野性的なといふと、野蛮的なといふ事に思はれるのであります。犬の風貌の上に於いて、観るものをして下品な、気持を悪くさすやうな、ガサツな、制御出来ない犬を想像されるのであります。これではいけないと思ひます。そんなものを求めるのであれば、狼とか、ジャッカルとか野獣を飼ふに越したことはないと思ひます。あくまでも我々は日本犬を愛育しているのであります。
 そのやうにこれからの使役といふことを考慮に入れて進むとしても、ガツシリとした荒けづりの犬を素材として繁殖せねばならないと思ひます。これを取り違へて野蛮な山犬的なガサツな犬を以つて日本犬の一つの進路と思ふのは、間違ひであります。ここで今、はつきりと例を引いて言ふことは憚りますが、ある系統の如く、一見、頑強に見えて、他犬とのセリ合ひ劇げしく、気迫あるごとく見え、花々しく展覧会の入賞率が好いとしても、その性根が弱ければそう重要視すべきではないと思ひます。この様な犬が往々飼ひ主が制御出来ない犬であり、展覧会などの審査場へ二人がかりで出場さすといふやうな醜態を演じるのであります。これでは犬ぢやないではありませんか。他方ある系統の様に、一 見、見るものの目を引かずおとなしい、その質よく観れば深みのある毅然としたものを内在してをり、性徴をはつきりと表現して、性根にしつかりしたものを持つていて、使ひ減りのせぬやうなものこそ、重要視してゆかねばならないと思ひます。
 あまりにも抽象的になつたので、もう一つはつきりせぬので遺憾でありますが、いつかははつきりと言へる時があらうと思ひます。
 これからの日本犬は斯くありたいと思ふものを書いて、このやうなものは避けるべきだといふものに就いてはもつと、くわしく書くべきでありますが、これは次の機会にゆづりたいと思ひます。
 三河犬に就いては、今更ら私が申すまでもなく、既に本部に於いて、それに対する処置ははつきりと表明されていることでありますが、こんな犬こそ、もつと強力な機闘によつて根絶ささねばならぬものと思ひます。
 畜犬的に見てもゼロであります。それを日本犬かの様に思つて飼はれでいるのを見ては、その飼ひ主の無智さ加減が気の毒になるのであります。これには世の悪辣な畜犬業者の不徳義な行為が、さうさしたのでありますが、これこそ日本人にあるまじき行為ではないでせうか。売れ行きがいいといふ事にのみに依りその繁殖を助長さす事がいけないのであります。我が国の唯一の独得なこの犬種を、保存、発展さすべき日本人であり乍ら、その雑種化に加担するとは以つての外であります。国賊呼ばりをされても弁解の余地は少しもないと思ひます。売れ行きがいい儲かるといふ個人主義的な観念より出発した、その行為は少しも許さるべきではないのであります。今からでもをそくはない。この三河雑犬 を取扱つている業者達よ。目ざめて、この雑犬の取扱ひ中止されよ。自分一人の利欲のために、日本的な文化の一部門を壊はさぬやうに、そして日本人として光輝ある日本犬の発展に協力すべきであらうと思ひます。
 私は業者のみを責めているやうでありますが、その後に隠然と控へて、この雑犬を奨励している日本犬○会にも注告したいのであります。今からでもをそくない、本然の日本人の姿に立ち還へつて、正しい日本犬研究の進路に突きすすめよ、と。
 亦われわれ純日本犬熱愛家にもその責任の一端を負はねばならぬ。(本誌第十巻第二号十五頁参照)。それ故に二千名会員揃つてこの三河雑犬根絶に是非とも協力して頂きたい。
 日本民族である限り、知ると、知らざるとに依らず、我が国の文化的に貴重なこの唯一の犬種の雑種化から救へ。他人事のやうに手を拱いて黙殺する時ではない。三河雑犬を見逃す勿れ。彼らの根絶に邁進しようではありませんか。
 大型に本件に就いても言ひたい事があるのですが、これも次の機会にはつきりと申すことにして。
 ただ、三河雑犬の混雑に依る害悪として純血度維持、種族保存に弊害を認むといふことに決定していますが、この点から見て大型日本犬は如何でありませうか。再検討を必要とするのではないでせうか。大飯を食ふだけで、番犬にもならず、闘犬でもない、能無し犬で、それも純血度から見て、はつきりと、土佐闘犬、樺太犬の混血を認め乍らも、果してわれわれはこれ等の犬を日本犬として取扱ふべきでありませうか。大型日本犬のみに対して同情的な態度を以つて接することなく、三河雑犬と同じい様に冷酷な批判の目を向けるべきではないでせうか。

THE BOX OF PANDORA


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This material issued 7. Dec 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第十一号(昭和十六年十二月七日発行)より

THE BOX OF PANDORA


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This material issued 7. Nov 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第十号(昭和十六年十一月七日発行)より

THE BOX OF PANDORA


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This material issued 30. Sep 1941 @ NIPPO
日本犬保存会会誌 「日本犬」 第十巻第九号(昭和十六年九月三十日発行)より

柴犬の本質について

【 柴犬の本質について 】
出典:社団法人(当時。現在は公益社団法人)日本犬保存会 平成14年度会誌より

【 柴犬の本質について  金指光春 】
はじめに
 
 わが柴犬も、その数においては安定期に入り、平均的レベルは向上したことは事実であります。
 しかし、種の発展、安定には、常に数と質の向上が不可欠であることが基本であり、数がほぼ達成された今日、その質の向上に目を向けることが最重要なことであります。「数から質への移行」である。
 近年、ペットブーム、また柴犬人気とともに柴犬も、人為的に作られたような姿態、すなわち外面的にきれいなショードッグ化した犬も多くなったのも事実でありましょう。
 否、そのような犬が目立ち、それが美しく良い犬であるかの如くの声を時折り耳にするにつけ、柴犬本来の日本的精神美と姿態の表現について述べて述べてみたいと思います。
 日本人は、一輪の花の生け方、一つの石にも美の結晶を造形するという、比類のない美学を作り出した。また一粒の露に人の生命のあわれさをうたう心を持つ、と日本通の外国人は語る。
 展覧会の過熱化、あるいはインスタント作出化?は、柴犬の欠点を取り除くことが主体の作出におち入り易く、時間のかかる本質的高さを求める長所の積み重ねの作出が影を潜める結果を生み出しかねない問題点を含むのではないかと心配する次第であります。
 血脈の尊さというか、年月を積み重ね地味に真剣に本質を追求し、作出された柴犬のみが持つ表現力とその味わいとの出会いは、犬の持ち主なんか誰れでもよい、ただただ、その犬との出会いの喜び、長年柴犬に真剣にかかわった人のみが感受できる喜び、否、優れた感性を持つ外国人にも理解されるものと思います。
 柴犬は、私達日本人が長い歴史を積み重ねる中で生活を共に歩んだ犬種で、遠い昔からの血脈があり、現在そして未来に生きる人々に正しく伝えていくところにも飼育の価値もあり意義もあります。故に単純に個人的な都合、単なる趣味、娯楽、物好きでの視点で、日本犬の展覧会を単なるショードッグと解するのは、文化財保護としての精神からすれば少し違うのではないかとも思います。
 原種的価値の高い犬種であることを皆様に深く認識していただき、本題に入ります。
一、本質の見方
 日本犬保存会の日本犬標準を述べて解説して事足りたりとしたら、会員の皆様は、例の如くのことかと、あるいは今さら日本犬標準でもあるまいと会誌を閉じてしまうでしょう。
 古い会員が、最近の柴犬はキレイになったが味のある犬が少なくなった、ということを時々耳にするが、胸に突き刺さるものがあります。
 ただその数において、日本的な味わいを失いつつある、所謂日本犬、仕方なく承認しようという程度の柴犬も多いことも事実である。
 今こそ根底から見直し、「これが柴犬だ!!」と公言しうるような柴犬を数多く作出することの大事さを認識することが必要ではないかと思うのであります。
 柴犬は元来、主として山奥の猟師の下で鳥獣猟犬としてその命脈を保ってきた犬であり、展覧会出陳犬といえども、その姿態、動作、性格、資質はあくまで昔日の祖先の持っていたものを備え持っていてこそ、柴犬の存在価値もあり、犬種に対する愛着も生まれ高まるのではないかと思います。
 その向上は、展覧会での審査員の能力と判定いかんは、実に柴犬の盛衰にかかわるといっても過言ではないと思うのであります。
 公平であるべきは当然とするも、日本犬を愛する、燃えるがごとき情熱と、確固不抜の信念と勇気、学識経験と熟練を積み、犬を一見して、その犬の価値を洞察し得る能力を持ち、個体審査中のみならず、リングから審査犬が退場するまで、常にその犬の稟性について観察し、ハンドラーの行動、たとえば首つりハンドリングなどについても留意しなければならないと、常に審査部研究会において、指導、教育されているところであります。
 さて、一寸かたい表現になりますが、本質の基本は、わが国古来の柴犬の特徴、特質を基として、その性質、素質であり、その表現とは、有形、無形のものが対者にその本質を感じさせるところにあります。
 悍威、素朴、良性が三大支柱であることは周知のとおりでありますが、分りやすく述べると、悍威は、気迫、度胸であり、当然、姿、形よりも、ポイントは高く、これの弱いものは柴犬としての価値はすこぶる低いといえるのである。この悍威は柴犬の真髄であります。
 次に素朴は、風格であり、柴犬の持つ自然美であり、これの地味と品位の和を渋いという表現をします。
 良性とは、柴犬らしい、忠実、従順な性質、気質であり、この三大支柱と柴犬としての純粋性が本質であります。
 この柴犬の本質を支えるものは、犬体の構成、肉体的の組織とその素質であり、強壮強靭で、本来の使役犬としての能力、嗅覚、聴覚、視覚とか、知的能力、本能的能力など、内因、外因感覚により行動をはじめる感覚は鋭敏性、動作の敏捷性、軽快で弾力ある歩様など、本質と体質は車の両輪のごとくであります。
二、審査員は、本質とその表現をどう見るか
 まずリング内で、内々たる気迫、常に動作は自信に満ち、沈着、大胆さが表現されていること。それは特に目の表現を重視し、耳の動き、尾の表現、全体の動作で感受できます。
犬の心を表現する目は、その形、色素はもとより、輝き、動きで、大胆、勇敢、沈着、忠順、智力、鋭敏さが表現されております。
 いいかえれば柴犬の稟性の良し悪しは目を見れば分るという言葉は的を得ているといっても過言ではないと思います。
 無論、感情、体調、体様の実態の良否によって表現の変化はありますが、観察の正否は稟性を中心とした精神的特性と感覚、敏捷性のある動作、良い体調、体様の持久力ある軽快な動作、これを支える体質が稟性との調和によって十分に表現されていてこそ本質的に高い柴犬であると見るわけであります。
 特に日本犬の中での柴犬は小型ながら、調和のとれた力強い体躯、体形、前記精神的な特性、特質と動きを支える乾燥度の高い体質、品位と素朴感のある顔貌である。
 これは良質形質の犬の積み重ねによって実現されるものであり、血統は最重要になります。
 さて、柴犬は洋犬と異なり他人になかなか慣れにくい、感情の表現が地味で分りにくい、非社交的で頑固である。また非常に勇敢であるが、反面ケンカ早い、猟性能が高い、帰化性があるなど、長所、短所を持っています。
 最後に純粋性ですが、よく『日本犬究極の美は目と毛質にあり』という言葉がありますが、目についてはある程度述べているので、後者の毛質について述べてみたいと思います。
 柴犬の毛質は野性味すなわり自然と同化しうるような素朴な色彩と質を持つことが重要で、狼とか野性犬科動物とかなり近い味わいを持っています。いつの頃からか派手な濃い赤毛が最良とする風潮があるが、暑苦しい感じの毛色と勘違いする向きも多くなり、その毛質も硬度と開立がとぼしく綿毛の密生度も少なく、冴え味もとぼしいものが多い。黒、赤、胡麻毛と毛色に関係無く毛色はうら色と冴えを基本に、剛毛は根白、綿毛も大部分の個所で白く抜けているのが純粋性のバロメーターと見るべきであろう。
 終わりに、犬体の一部のみにとらわれて、基本的な本質を忘れないこと、自己の所有犬の評価だけに一喜一憂するだけでなく、他犬の基本的な長所を感受し、展覧会を自己研修の場とするならば、楽しい一日となるでしょう。そういった意味でも日本犬の魅力はその本質であり、永遠にこれを価値とし守っていかねばならないのであります。追求すればかぎりなく、これで事足りたとの思いは遠く道程は長い。小さいながらもキリッと締まった姿態と素朴感のある気性のしっかりした柴犬を追い求めながらペンを起きます。
*参考 審査部研究会資料一部抜粋しました。


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THE BOX OF PANDORA


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